空港でのトラブル

ペルーの空港

海外へ旅行する際に悩まされることの一つに、入国時の審査(イミグレーション)、それに続く手荷物検査などがあります。はじめての海外だった南米では、手荷物の検査時に検査官がちょっとしたいじわるをすることに気づきました。ペルー・リマの空港では、たとえばトランジットで出発時間が迫っている際など、わざと荷物の中をかきまわしはじめるのです。そんなことに慣れてくれば、ボールペンといった小物をわざと目立ちやすいところへおき、相手が欲しそうな顔をするやそれを差し出せばそれでOK、たやすいものでした。その後、ジャカルタ空港でも似たようなものでしたが(現在は知りません)、他愛ないと言えば他愛ないものでした。しかし、サウジアラビアになると、そう簡単にはいきません。いろいろな面で、宗教がらみの厳しさが出てくるからです。サウジだけではなく、その後、いろいろな空港で思わぬトラブルに見舞われ、最後は、あろうことかアメリカ・サンフランシスコでも悩まされました。そのようなトラブルについて、いくつかの例を書いてみます。
経験した最初で、かつ最悪だったトラブルはサウジアラビア・ダハ―ラン空港でのことでした。同国に2年間長期滞在し、その前後でもいくたびか入出国をくり返していましたので、わたしにとってはもっともなじみの深い国であり、慣れた空港のはずでした。それがかえって慣れ、というより油断をまねいてしまったのでしょう。トラブルの本(もと)は、ほんとうにつまらないことからでした。海外へ出るときのパッキングのコツの一つとして、ズボンを二つ折りにする際、折り目に雑誌などを挟むことなど、皆さんもよくやると思います。そのときは、新聞社が無料で配布する広告誌を使用していたのです。そんな雑誌でも水着姿の女性のグラビア写真の1枚や2枚綴じられていることは珍しくありません。それが見つけられてしまったのです。状況からすれば、いかがわしい(?)雑誌をズボンの間に隠して持ち込んだと検査官が判断してもおかしくはなかったかもしれません。一点でもそんなものが見つかればもういけません。土産用に持ち込んだ数冊の週刊誌すべてがチェックされました。日本の週刊誌に女性の写真は当たり前みたいなもの、従前ならその種の写真の載ったページはすべて切り取って持ち込んだものでしたが、その時は、そんな注意力がまったく欠けていたのです。わたしは、ラゲージ共々別室に連れていかれました。パスポートを調べれば、わたしが同国へ何度も入国していることは明白であり、その種の雑誌の持ち込みが要注意であることは当然知っていた筈なわけです。とっさに、事態は深刻で、場合によっては身柄の拘束もあり得ると、瞬間、恐怖感を覚えました。わるいことに、その時は空港から離れた現場訪問だったため、いつもなら空港でアテンドしてくれるアラビア語に通じた事務方の迎えはなく、ローカル、と言ってもサウジ本国人ではなく近隣諸国からの出稼ぎのドライバーだけの出迎えだったので、拘束されたような場合、すぐに救出が期待できない情勢でした。恐怖感を感じたのはそのためで、唯一の頼りは、機中で知り合い、入国手続きの際に同じ列にいた日本人にサウジ国内の連絡用の電話番号を記入した名刺を渡してあったことでした。手荷物検査時のトラブルに気付いたその方が声をかけてくれたので、万が一の時の連絡をお願いしました。別室では、何人かのサウジ人が出たり入ったりして、その都度疑りぶかい目つきで何やら話し合っていましたが、むろん内容は分ろうはずがありません。時間にして15分ていどでしたか、気持の上ではずいぶん長く感じましたが、雑誌類を没収の上でわけがわかからぬままに釈放されました。たぶん、裸の女性と言っても水着は付けていた写真でしたし、ポルノ雑誌ではないのでそれほど悪質ではないこと。そして、パスポート上のビザの内容から判断すれば、同国内でしっかりと仕事をしている人物だと判定してくれたのでしょう。解放された時はホッとするとともに、力が抜けてしまったかのようで、汗がドッと出てきました。
2例目はアルジェリアへ行くための経由地チュニスの空港でのことでした。ドイツ・ハンブルグからの搭乗機はルフトハンザ、機中では入国カードが配られます。北アフリカの三ヵ国がかつてはフランスの植民地だった関係で、入国カードには英文・仏文用があり、黙っていればスチュワーデスはフランス語用のカードを配ります。仏文であっても、内容はある程度までわかります。本来なら英文のカードがないのかどうか確かめるべきだったのでしょうが、この点も油断というよりうかつだったと言えるでしょう、構わず英文で書いておこうと同行の二人にもそう指示してしまいました。これが大失敗でした。入国管理官はまったく英語ができず、会話が成立しないのです。たぶん、仏文用入国カードなのになぜフランス語で書いてないのだ、とでも言っていたのでしょうが、ポカンとするばかりのわたしたちをわめきちらすばかりで、正直なところ途方にくれました。そんなときフェンスの外で手を振る日本人女性が目に入りました。だれだろう?いぶかしく思う間もなく、その女性、パスポートを見せながら入国管理官のところへきて何やら話しをつけてくれ、ぶじに入国の手続きを済ませられたのです。聞けば、女性は在チュニスの大使館職員で、本省からの依頼で、夜のアルジェ行の便が出立するまでわたしたちのケアのために空港へ来たところ、戸惑っているわたしたちをみつけ、声をかけてくれたよし。彼女が助けてくれなければまるでラチがあかず、どういう結果になったか予想もつかなかっただけに、ほんとうに地獄で仏に会ったような気持でした。
3例目はウズベキスタンのタシケントから出国するときでした。同国では、入国の際に同国内へ持ち込む現金の内訳を詳細に記入して係官へ提出し、その控えを保管し、出国の際に持ち出す金額を書き込んで返却するシステムで、そうすることで金の流れがチェックされるわけです。要はウズベキスタン国内で不法な商売などをして現金などを稼ぐようなことをしなかったかどうかを調べるわけです。わたくしのような仕事で入国する者は、滞在中の生活費がかかりますし、仕事上で必要な通訳の費用などは持ち込んだドルをそのまま置いてきますので、基本的には稼ぐどころか、かなりの外貨を同国内へ落とす有難い旅行客なわけです。すでに数回の入出国をしており、それまでまったく問題はなかったのですが、最後の出国時にわけがわからないままに別室に連れていかれました。そこで初めて知ったのですが、これで最後だという気の緩みがあったのでしょうか、入国時に渡された控えに書くべき金額を、わたしは同じ書式の別の紙に書いてしまっていたのです。まったくうかつなことでした。このときは、連れて行かれる私の姿を通訳が見ており、見送りの人の中にいたわたしの仕事先の社長さん(国営企業なので、いわば高級官僚になる)も駆けつけてくれて、空港の担当官も事情を察してくれて、お目こぼしのような状態で解放されました。このときは、不安な気持ちをいだくというよりは、海外での気の緩みはトラブルのもと、おのれの不注意をひたすら反省したものでした。

サンフランシスコ国際空港

最後の例は8年前、娘の大学卒業式を参観するために行ったアメリカ・サンフランシスコでの空港でした。今までの3例が、自分の不注意に起因していたのに対し、このときのトラブルは「いいかげんにせいよ!」と怒りをぶつけたい心境でした。要は、わたしの入国手続きにすごく時間を要したのです。それも半端な遅れではなく、わたしの列のうしろに並んだ人たちのひんしゅくを買うほどの遅れだったのです。ヒスパニックとおぼしき若い入国管理官は、パスポートのページをあちこちとめくったり、PC端末の画面を見るだけで、何を聞くでもなく、ただ無為に時を過ごしているとしか思えませんでした。しばらくして年かさの管理官が呼ばれ、ことばを交わしていましたが、それでOK。いったい何だったのでしょうか。定かな理由は分りませんが、その当時テロ対策で入国審査がきびしくなっていた折、どうもわたしのパスポートに記録されたアルジェリアとウズベキスタンへの入国ビザ、入出国を示すアラビア文字のスタンプが原因のように思えました。わかい管理官は、おそらくアルジェリアはかつてテロの国であり、中央アジアの国ウズベキスタンも、たしか数年前にテロがあった筈だていどの知識しかなく、そんな国へ行った人間を入国させていいのかどうか自分では判断できなかったのでしょう。それにしても人騒がせな対応で、同じころロンドンの空港では、不審者は入国させずにそのまま強制出国させた、というようなことがありましたから、やはり他人事とは思えないトラブルだったと思わざるを得ませんでした。アメリカからもどって間もなく、パスポートの更新時期で、そのご海外へ出ることもありませんでしたので、わたしのパスポートは真っ白のまま。たぶん、もう入国管理官に変な目で見られることもないでしょう。

(2015年5月)

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