チュニジアという国

世界地図を開くまでもなく、北アフリカ地中海沿岸には5つの国が並んでいます。東からエジプト、リビア、チュニジア(外務省の正式表記はテュ二ジア)、アルジェリア、そしてモロッコです。第2次世界大戦前にすでにイギリスから独立していたエジプトをのぞき、その他は大戦後に独立した国で、リビアの宗主国はイタリア、そして残る3国はフランスから独立した国で、マグレブ3国と称されています。マグレブというのはアラビア語で「西の地」あるいは「日の沈む地」の意味で、イスラム教の聖地メッカ、あるいはイスラム世界の中心となるカイロ以東から見れば、この3国は、まさに日の沈む西の方角に位置しているわけです。マグレブ3国は、かなりの点で共通することも多いのですが、顕著に異なる点もあります。一口でいえば、国民性の違いといえるでしょうか。3国の国民性をあらわす表現として、こんな風にいわれています。モロッコは「マグレブの漁師」、アルジェリアは「マグレブの獅子」、そしてチュニジアは「マグレブの乙女」なのだそうです。たしかに、そういわれてみると、感覚的には何かすごく当たっているような気がします。モロッコといえば、わたしなどは名画『カサブランカ』を思い出し、あの映画からの連想でいえば結構モダーンな感じがしましたが、同じフランス領でしたが、他の2国と比較すれば田舎っぽい感じ、むしろ魚臭さを感じさせる、まさに「漁師」という表現ぴったりの感じです。アルジェリアが「獅子」というのもぴったりです。この点についてのくわしい説明は別の機会に譲るとして、大国フランスを相手に8年にもわたる戦争の結果、独立を獲得した一事だけ取っても獅子にふさわしいといえるでしょう。それに対してチュニジアは、国の起源からいえば、かつてのカルタゴです。象でのアルプス越えで有名なハンニバルを生んだ国で、一度はポエニ戦争でローマを叩きのめした誇り高き雄国です。その後、ローマの名将スキピオに完膚なきまでたたかれ、ローマの属州になってからは、乙女のように従順になってしまったのです。歴史的にみても、7世紀以降、イスラム勢力が地中海沿いに東側から席巻して来た際も、チュニジアはさっさと懐柔されてしまい、国内にイスラム都市の建設を許したばかりか、その地を抵抗の激しかったアルジェリア侵攻の拠点にされたのです。近代にいたって、宗主国フランスからの独立にあたっても、アルジェリアが長期にわたって独立戦争を繰り広げ、血の贖いをもって勝ち取ったのに対し、チュニジアはフランスに友好的であり、その結果アルジェリアより6年も早く独立できたのです。血を流すことなく独立を獲得したところなど、まさに乙女の魅力が獅子の力に勝ったのかもしれません。国土面積(日本国土の43%)では隣国リビア、アルジェリアの10から15分の1にも満たない小国、しかも両国にがっちり囲まれておりますから、波風のたたぬよう静かにしていて、両国の様子を見てから動くようにする、ある意味ではやむを得ない面があったのではないでしょうか。そのチュニジアでの民衆の蜂起が、今回の激動の発端になったことに、わたしは驚きを禁じえないのです。

わたしは、在アルジェリア日本大使館改修工事のため、1998年春から翌1999年末までの間に都合4回同国を訪問し、最後の5か月は長期滞在しました。テロに巻き込まれる危険性を恐れてフランスの航空会社の利用が認められず、出入国はすべてチュニス経由と指定されていたため、好むと好まざるとにかかわらず、いったんはチュニスで降りなければならなかったのです。そのような事情、それにチュニスには行動の自由がありましたので、どちらかといえば休暇も含めて、アルジェよりむしろチュニスでの生活を楽しむことが出来たのです。初めてアルジェへ入国した際はまだ、アルジェリアで頻発していたテロの最盛期で、2週間の滞在中、宿泊は大使館敷地内、外出は防弾車で警備官によるガード付きで数回許されただけした。夜寝静まった頃になると、爆発音や銃声がしばしば耳に入り、高い塀に囲まれ、2重、3重の警備線で護られていましたが、外国人もテロの標的にすると宣言していたテロリストたちにいつ攻撃されるかと思うと、その緊張は並み並みならぬものがありました。ただし、アルジェ市内で警備官たちに警護されていたときは恐怖をさほど感じませんでしたが、むしろ帰国の際、空港で通関・出国手続きが済み、自分たちだけになってから、かえって恐怖心がつのりました。当時のチュニスの空港では、預ける荷物はすべて機の下に集められ、その中から自分の荷物をさがし出し、担当者に確認の合図をしてからでないと搭乗できなかったのです。搭乗できるまでの長い時間、何が起こるかわからないこの国では、不安な気持ちでいっぱいでした。それだけに、離陸できた時はホッとして、全身の力が抜けたかのようでした。アルジェ−チュニス間のフライトはわずか1時間です。しかし、たったそれだけの短い時間差で生じる解放感の大きいこと、そして何の不安もなく夜を過ごせることのありがたさは、今でも身に沁みております。チュニス−フランクフルト便の出発は夜、チュニスで一日観光を楽しめましたが、驚いたことに、2週間のアルジェでの幽閉(?)生活で足腰がすこし萎え、歩行がつらくなっていました。

当時テロの嵐に揺れていたアルジェリアでは、防弾車のガラス越しに見た人々の顔は疑心暗鬼に満ちていたような、どことなく暗い表情でしたから、地中海ブルーの広がる空の下、チュニス市民の表情の明るさはすごく印象的でした。海外からの観光客の数も多く、街を歩く女性たちもイスラムの宗教的な束縛からも解放されているかのようで、人々は一見自由を謳歌しているように見えました。ただ気になったのは、街中いたるところに貼られたベン・アリ大統領の大きな写真でした。案内してくれた人の説明では、1956年にフランスからの独立後、チュニジアはブルギバ大統領の指導で穏健な社会主義路線を歩んでいましたが、彼がやがて独裁的な政治をとるようになったことで、87年に軍人出身で治安畑を歩んでいたベン・アリが無血クーデターで政権を奪取、はじめのうちは西洋化ともいえる民主化路線を推進していたようです。事実、一夫多妻制の廃止、女性参政権、それにベールの廃止など女性の権利を広範囲に認めて、イスラム世界の中では異例ともいえる近代化を図ったようです。しかし、その反動としてイスラム原理主義の台頭を許しました。90年代に入りますとアルジェリアでのイスラム原理主義運動がつよくなりましたので、その危機感から、ベン・アリは原理主義者の抑え込み、いいかえれば独裁的な強権主義をとるようになったのでしょう。チュニス郊外、ビルサの丘にはカルタゴの遺跡がありますし、近くにはローマ帝国で最も安定していたといわれるアントニヌス・ピウス帝(第15代皇帝 138〜161 AD)時代の浴場遺跡もあり、そのちょうど中間に大統領の官邸があります。浴場の遺跡などで夢中になって写真を撮っていて、たまたまアングルが官邸方向へ向いてしまった際など、治安警察に注意されるだけでなく、フィルムも没収されることもあるのだそうです。たしかに、大統領官邸周辺の警備は厳しく、街中でも政府関係施設周辺などには警察官の姿が多く、近代化が進められた国とはいえ、大統領の独裁色の強さを感じたものでした。

チュニスに滞在したのは10年も前のことで、その後の動きはわたしも定かにはつかんでおりません。しかし、ニューヨークでの同時多発テロ発生以後、世界的にもイスラム原理主義への締め付けは厳しくなり、ベン・アリの強権政治はますます強くなっていたようです。それに対する反動でしょうか、2002年4月には有名な観光地ジェルバ島で自爆テロ事件が発生して多くの観光客が死亡したことで、年間700万人を超すといわれていた外国人観光客は激減し、観光業への就業者数40万人といわれている同国の経済は甚大な損失を被っていたようです。観光以外にめぼしい産業のない同国にとっては、国外への移民あるいは出稼ぎに出て、稼いだ外貨を国元へ仕送ることも大きな収入源だったのですが、イスラム化を嫌う欧州諸国の移民制限でこの収入も激減、生活の苦しさから、イタリアなどへの不法入国者が絶えないようです。このように経済的に苦しい一方で、ベン・アリが政権の座に長くとどまることによって政権の腐敗は増長していたようですから、乙女と称され、本来はおとなしい筈のチュニジア民衆のたまりにたまっていた憤懣が、今回のジャスミン革命(国花を取って命名)となったのでしょう。それがきっかけとなり、エジプトではムバラク政権が倒れ、リビアでは内戦状態になっております。その他のイスラム諸国にも波及していますが、このような大きなうねりになろうとは、ジャスミン革命当時、じつはチュニジア人自身、予想もしなかったのではないでしょうか。

(注記)文中に書いたように、チュニジアは観光立国で、日本からの観光客も近年大幅に増えているようですから、今月は採用した写真の説明をしておきます。
上から順に;
?カルタゴの遺跡:往時栄華を誇ったカルタゴも、第3次ポエニ戦争の敗戦でローマ軍に完膚なきまでに破壊された
?アントニヌス浴場跡:壮大な浴場は、4世紀の民族大移動で欧州から侵入したヴァンダル族によって破壊された
?海岸にて:海岸沿いの豪華ホテルはプライベート海岸を有し、休暇を楽しむヨーロッパからの観光客が多い
?ローマ時代の水道橋:カルタゴを支えた水源地ザグアンから引かれたローマ時代の水道橋で北アフリカ随一
その他、チュニス市内にはローマ時代のモザイク収集では世界一といわれるバルドー博物館、チュニス近郊エル・ジェムには、ローマ世界で三番目に大きいコロシアムがあります。

(2011年 3月)

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