中島みゆきの世界

皆さん、覚えていらっしゃいますか。NHKの紅白で、中島みゆきが『地上の星』を黒部第4発電所から実況で流したことを。ほんの少し前のことだと思っていたのですが、もう11年も前のことになるのですね。ご存知のように、同曲はNHKの人気番組だった「プトジェクトX−挑戦者たちー」のオープニング・テーマだということで、ふだん紅白に見向きもしない比較的高年齢の方たちも、この時ばかりは、チャンネルを1に合わせたようです。むろん、わたしもその中の一人でした。紅白の後、この曲と同名のアルバムは売れに売れたとか。世のお父さん方の間で、中島みゆき(以下「みゆき」と呼称)は、結構、人気があるようですね。
もう古い話ですが、自分で選んだのか、誰かに勧められたのか、記憶は薄れてしまいましたが、彼女のアルバムを現場へ持って行ったことがあります。むろん、まだテープのころでした。自分では南米の現場だと思っていたのですが、そのアルバム『あ・り・が・と・う』の発表が1977年となっていますので、南米のつぎの現場、サウジアラビアだったのでしょう。わたしはクラシック・フアンであり、他にテープを買うとしても、淡谷のり子か越路吹雪といった、どちらかといえば古いタイプの人間でしたから、みゆきとか、同時に持って行った井上陽水の曲を聴くなんて、自分でも信じられないほど意外なことでした。ところが、聴いてみると、なんともいえず魅かれるところがありました。とくに、その歌詞の意外性です。陽水の『夢の中へ』とか『傘がない』などは、歌謡曲にはない魅力がありました。とくにみゆきの曲、聴いているだけでも楽しさを感じました。正直に申しますと、サウジアラビアから帰国したあと、テープは伸びきっていましたし、だからといってテープやCDを改めて購入するほどのフアンでもないので、彼女の曲、久しく耳にしたことはありませんでした。ふたたび彼女の大フアン(?)になったのは、やはり『地上の星』がきっかけだったのでしょうか。たまたま銀座4丁目の山野楽器を覘いていたとき、彼女のアルバム『あ・り・が・と・う』がCDで復刻されているのを見つけ、さっそく買い求めました。20何年振りかに聴く彼女の歌声、懐かしかったし、嬉しかったですね。改めてその歌詞を活字で拾ってみますと、彼女でなければ書けない心情が伝わってきます。たとえば、『遍路』の中の一節「はじめて私に、スミレの花束くれた人はサナトリウムに消えて それきり戻ってはこなかった」、彼女の人生観が伝わってきますし、歌詞全体からは、遍路娘の手元から鈴の音が聞こえてくるようです。『店の名はライフ』の「店の名はライフ おかみさんと娘 母娘(おやこ)で よく似て 見事な胸」、はじめて聴いた時は、ずいぶんふざけた歌詞だ、と思いましたが、4番まですべて聞くと、まさに生活あるいは人生そのものが歌われていることがわかります。『ホームにて』での一節「たそがれには 彷徨う街に 心は今夜も ホームにたたずんでいる ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券」、まさに、北海道の親許を離れ、独り東京で歌手生活をする彼女自身の望郷の思いなのでしょう。そして『時は流れて』の「時は流れて 時は流れて そして わたしは 変わってしまった 時は流れて 時は流れて そしてわたしは あんたに 逢えない」、まさに彼女の人生観・世界観の一端が表れていると思えます。

「変わり者の石井が、また変なことを書いているな」、と思われた方もいると思いますが、わたしは「中島みゆきというシンガーソングライター、只者ではない」と思っています。じつは、わたしの連れ合いは早稲田のエクステンションでH名誉教授の授業を受けています。芭蕉の研究で博士号を取得された江戸文学、とくに『奥の細道』研究の大家です。連れ合いの話しによりますと、その先生、みゆきの「追っかけ」ともいえる大フアンで、授業中でも、時折みゆきの話しに脱線して、彼女の「まわるまわるよ 時代は回る」とか「めぐるめぐるよ 時代は巡る」の話しになるのだそうです。それだけでは何のことかわからないのですが、先生は5年前に『おくのほそ道 時空間の夢』(角川叢書)という本を出版されています。その中で、彼女の初期の代表作『時代』の一節「まわるまわるよ 時代は回る 別れと出逢いを くり返し 今日は倒れた 旅人たちも 生まれ変わって 歩きだすよ」を例に挙げて、彼女の詞には、『おくのほそ道』序章の漂泊観に通じるものがある、と論じているのです。若くして父親を亡くした彼女は、早い時期から「生と死」というテーマを扱っており、命のはかなさをうたったものが数多い。そして遥かな望郷のまなざしもうかがえるが、それ以上に、彼女のプライベートな感傷を超えて、ほとんどその確かな世界観もしくは歴史観とでもいっていいようなものを語りかけてくる。そして、「月日の流れを生生流転、永遠回帰の相と認識する芭蕉のそれと全く軌を一にするものなのである」と断じ、例の「プトジェクトX−挑戦者たちー」のエンディング・テーマ『ヘッドライト・テールライト』のフレーズ「ヘッドライト・テールライト 旅は終わらない」も、同じ宇宙観・世界観に立つている、と述べています。さすが大学の先生です。ただの「追っかけ」ではなく、彼女の詞を日本文化論の立場から論じているのです。わたしは、すっかり意をつよくしました。先生はさらに、水森かほりのうたう『荒川線』にも触れ、その一節「歳月は 流れるけれど 変わらないものがあるの(中略)荒川線に乗るたび 胸にほっとともる灯り 巡る季節もなつかしい 心 心かよう町」も、芭蕉に通じるものがあると話されているそうです。早稲田にも楽しい先生がいますが、どっこい、『中島みゆきの社会学』という本を出されている大学の先生、それも学長までなされた山内亮夫という先生もいるようです。
ということで、学者先生方も高く評価されている中島みゆき、どんなソングスターなのか、インターネットで調べてみました。その種のスターには、若いころ苦労してのし上がってきた人が多い、とかよく耳にしていますが、彼女の場合、北海道の出身で、祖父は地方の政治家、父親はお医者さんということでいわば良家の出身のようです。札幌の女子大で国文学を専攻、高校のころからすでに自作の曲を何曲も作っており、つけられたあだ名が「コンテスト荒らし」だとか。若くして才能があったのですね。しかも「ことば」に対する素養も身につけていたのでしょう。驚くことに、何百という自分の持ち歌のほかに、他の歌手のために100ほどの曲も提供しており、そのほとんどが作詞・作曲なのですから、「お・ど・ろ・き」以外のことばが出てきません。彼女の詞は、高校の国語の教科書にも採録され、ソングライターとして「レコード大賞(作詞賞)」も受賞しているのです。しかも、国の国語審議会委員にも任命され、第56回芸術選奨文部科学大臣賞、さらに紫綬褒章受章と、並の歌手とは違うのですね。彼女の詞は、ごく日常的な風景、そこに登場するごく一般的な人たち、そんな平凡なテーマを、むずかしい言葉などいっさい使わずに心に残る曲に作り上げていく。しかも、歌がすごく上手というわけでもないのに、独特な「みゆき節」で聴く人を惹きつけてしまう。そんな歌手に出会えたことに無上の喜びを感じています。

(2013年12月)

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