闘牛がスペインから消える?

南米コロンビア、ボコタのサンタ・マリア闘牛場

皆さんは、闘牛といえば、何を思い浮かべますか。むろん日本にも牛同士を競い合わせる闘牛があちこちにあります。しかし、大方は、牛と闘牛士(マタドール)とが競い合うスペインの国技である、華やかな闘牛を思い浮かべるのではないでしょうか。闘牛といえば、小説ではヘミングウェイの『日はまた昇る』が有名ですし、歌劇『カルメン』に出てくるエスカミーリョ、そのほかにも映画やTVドラマ、数え上げたらきりがないですね。日本でも「闘牛観戦ツアー」などが企画され、結構人気なようです。ところが2、3年前に、そのスペインのカタルーニャ州で、「闘牛禁止法」が成立というニュースが流れたときには、大げさな表現かもしれませんが、世界中が「あっ!」と驚きました。そして2011年9月、州都バルセロナのモルメンタル闘牛場での興行を最後に、同州での闘牛は完全に姿を消したようです。いまその闘牛場は、外壁だけを遺し、内部はショッピングセンターに変身したそうで、バルセロナには、ガウディのサグラダ・ファミリアにつぐ観光スポットが出来たようです。

                        

南米エクアドル、キトの闘牛場

闘牛が禁止されるにいたった大きな理由は、人気の低迷と動物愛護のためだと言われていますが、元々カタルーニャ州はスペインの中にあって民族も他と異なり、カタルーニャ語という公用語も認められるなど、独自の文化を持った地域主義のつよい州だそうですから、いまのところカタルーニャ州に追随する州は現れてはいないようです。しかしわたしは、この動き、同州だけにとどまらないのではないか、と思っています。現に、カタルーニャ州から闘牛が完全に消えたのと機を同じくして、全土から「闘牛の中継放送」が消えたようです。そしてわたしは、いずれはスペインから闘牛がなくなればいいのにと思っています。じつはわたしは、スペイン的な闘牛の反対論者なのです。なぜ日本人のわたしが「闘牛」を、と不思議に思われる節もあるでしょうし、スペイン人にしてみれば、たしかに余計なお世話で、「ハポネス(日本人)のお前なんかに言われたくない!」と非難されそうです。わたしがそう思うようになったきっかけは、40年前にさかのぼります。
わたしにとって初めての外国経験だった南米コロンビアの首都ボゴタで目を引いたのは、壮大なサンタ・マリア闘牛場でした。闘牛と言えばスペインだけかと思っていたわたしには、「南米にも闘牛が?」と意外な思いでしたが、考えてみれば、大半の中南米諸国にとってスペインはかつての宗主国ですから、いわば植民地に自国の闘牛を、と思うのはしごくあたりまえのことなのでしょう。スペインに劣らぬほどたいへんな人気なようです。地元の人の話しでは、ボゴタがスペインからの一流闘牛士が来訪する南限都市なのだそうです。スペインの闘牛シーズンは毎年3月から10月まで、それが終わると、こんどは中南米へ訪れるのだそうです。とはいっても広い大陸、すべての国・都市を巡業するわけにもいかず、メキシコ・シティからボゴタあたりまでが一流の闘牛士、それ以外は二、三流の闘牛士しか来ないようです。

キトの闘牛士

わたしがはじめて(そして最後に)闘牛場へ足を運んだのはエクアドルのキトでした。1974年10 月ごろだったと思います。キトのお祭りは11月からで、その際には、スペインから、シーズンオフを利用してそこそこの闘牛士もキトへ来るのかもしれません。ですから10月の開催というのは、何か別のイベントだったのかも知れません。キトに来たばかりで、その時は詳しいことは何も知らずに、たまたま街に貼られていたポスターに魅かれて、同宿していたセニョール・Tと二人で見に出かけた次第です。スタンドはかなりの入りで、にぎやかでした。闘牛の前半は、闘牛士を目指しているような若い人たちの出演で、これは見ていても、まだまだの感じでした。メイン・イベントは写真に出した3人のマタドールでした。何も知らないわたしは、彼らも、一流ではないにしてもスペインから来た闘牛士なのだろうと思っていました。それにしても、闘牛士といえばスペインでは花形のスター、もっと華のある人なのかと思っていましたが、どうみてもさえないのです。コスチュームからして煌びやかさがまるでないのです。スタンドからですから細かいところまではよくはわかりませんでしたが、なにか着古したような衣装でした。それはともかく、トランペットの吹奏、露払いの騎馬の登場など、一連の儀式的な演出も終わり、槍方が登場し、銛(もり)打ちも終わったところで、いよいよマタドールの登場です。映画や写真などでもおなじみの例のムレタ(フランネルの布)の演技がはじまりました。スタンドは一気に盛り上がってきます。頃はよしとばかり、桃色のムレタが赤色に代えられ、剣を手にしたマタドールが牛の急所をねらって刺しにいきます。なるほど一剣で倒すというのは難しいのかも知れませんが、それがなんと、何度刺しても牛はへこたれないのです。そのうち、あらためて銛打ちが登場したりして、アレーナが血に染まり、殺された牛が馬に引きずられて退場するまでずいぶん時間がかかりました。それでもスタンドでは「オレ―!」の声も出て、たいへんな盛り上がりでしたし、後ろのほうでは「ガス!」とか「オクシヘン!」などという声がします。何のことだかわからなかったのですが、スペイン語に堪能なセニョールが「酸素のことだ」とささやいてくれて、ようやく事情が呑み込めました。キトは海抜2800メートルの高地です。それでなくても酸素が薄いところで、肥った女性が興奮するわけですから、つい酸素不足になってしまうのです。主催者側も心得たもので、小型のボンベを用意した救護班をちゃんと待機させていました。青白くなっていた女性の顔も、酸素を吸入すれば元の通り元気になります。

そんな感じでイベントは進行しましたが、2番目に登場したマタドールはもっとひどく、結局、自分の手では牛を殺せませんでした。後になってから知ったのですが、2番目というのは、その日の一番技量の落ちるマタドールだそうで、それにその日のマタドールはどうやらスぺインから来た人ではなさそうでした。ところで、なぜわたしがスペインの闘牛に反対するのかですが、セニョールTと二人、思わぬ光景を見てしまったのです。牛に何本かの興奮剤(セニョールがそうだと教えてくれました)を打っているのです。要するに、牛が角と角とを突き合わせて闘う日本の闘牛と異なり、スペインの闘牛は武器を持ったマタドールと牛との闘いです。牛が戦う気がなければ勝負にならないし、マタドールとしても戦いにくくてしょうがないでしょう。牛というのは基本的にはおとなしいのですが、怒らすと気性が激しくなる動物なのではないでしょうか。丑年生まれのわたしがいうのですから、間違いありません。わたしが見た闘牛でも、怒り狂ったように助手や銛打ちの人たちに迫って行き、彼らをフェンスの裏側や観客席に逃げ惑わせたシーンもありました。そんなわけで、マタドールにしても、立ち向かってくるような牛でなければ急所に一剣で仕留めるというのは難しいのだと思います。一瞬にして牛を倒す、その美学は、よほどタイミングが合わないと生まれないのでしょう。だからといって、興奮剤をどんどん打ったり、寄って集(たか)ってなぶり殺すような屠殺ショーなどは、あまりにも牛がかわいそうではありませんか。セニョールTもわたしも、興奮剤を打つ場面を見て、闘牛の裏側を見てしまったようで、なにか興ざめした気分になってしまったのです。「どさ回りの舞台を見ただけで何がわかる。せめてスペインの、たとえばマドリッド・ベンタス闘牛場を覘いてから言ってくれ」、と闘牛通から非難されそうですが、とにかくスペインの闘牛、人間の傲慢さ以外の何物でもないとわたしは思い、いずれなくなってくれることを願っているのです。

(2013年11月)

ホームに戻る

前の月の履歴を読む

次の月の履歴を読む