下戸ならぬこそ、男はよけれ

2009年1月のトピック「おやじの背中」に書いたことですが、わたしの父はたいへんお酒の好きな人でした。 いつの頃までだったか記憶は薄れていますが、多分中学生の頃までの父といえば、毎晩のように酒を飲んで帰っては、母と言い争いになっていた記憶があります。そんな父の子ですから、 わたしも酒には当然のように強いのだと思い、まさか自分がアルコールによわい体質だなんてことを、考えたこともありませんでした。わたしが、そのことに気づかされたのは、比較的早い時期でした。

わたしの生地品川の天王祭は6月の初旬で、梅雨に入るかどうかの頃ですから、ちょうどむし暑くなる時期です。高校へ進学してはじめての天王祭、友人数名と連れ立って宵祭りに集まる人の群れにまじってそぞろ歩いていれば、自ずと喉が渇いてきます。そんなとき、中学時代の恩師に出会い、「君らも高校生になったのだから少しはいいだろう(今だったらいけないのでしょうが)」、とビールをご馳走してくれたのです。先生のお墨付きですから、皆よろこんで、大人になった気分になって、「うめえ、うめえ」と飲んだものでした。むろんわたしにとって、はじめての経験でした。わたしにしてみれば、おやじが毎晩のように飲んでくるアルコールは、どんなにおいしいものなのか興味津々で、大いなる期待をもって飲んだつもりでした。しかし、期待は大きくはずれ、おいしい、おいしくないといった嗜好以前に、たいした量を口にしたわけではなかったのに、気分の悪さに加えて、猛烈な頭痛に襲われたのです。「こんなはずではない」、わたしは半信半疑の気持ちでした。はじめて口にしたので慣れていないのだろうと、そのときは、自分は酒を飲めないのだと決め付けたわけではありません。そのうち慣れてくるに違いないと楽観視し、何度か機会をとらえては「今回はどうかな」、と様子をうかがっていました。酒など飲んでいるうちに強くなるものさ、という人もおり、自分もいつかは強くなるのではないか、という思いがあったのです。しかし、わたしの場合、強くなるどころか、口にするたびに、何らかの弊害がでました。たとえば大学でのコンパで飲んだときなどは、つい調子に乗って、多少自制する気持ちに欠けたのでしょう、完全に自分を失ってしまい、心配した友人が早稲田から品川の拙宅まで送ってくれました。途中何度か迷惑をかけたことだけは、今でも覚えております。こんなこともありました。ほんの少量でしたがアルコールを口にしてから近くの銭湯へ行き、湯につかった後、洗い場に立っていたときに急に目の前が暗くなり、意識がうすれていったのです。つぎの瞬間、うすれていく意識の中で「これはまずいぞ」と思い、濡れた体に衣服だけは身につけて自宅へもどり、そのまま横になりました。その間、意識は朦朧としてはいましたが、「家までは何とかがんばれ」という気持ちだけは持ち続けていたことを覚えております。そのようなことから、わたしは、自分の体はアルコールを受けつけないのだ、ということをはっきりと認識するようになりました。正直なところショックでした。そして、体がアルコールを受けつけないことを医学的に説明してくださったのは、鐘紡記念病院(現神戸百年記念病院)に出向していた際、内科の先生からでした。

ご存知の方が多いと思いますが、アルコールは他の食品と異なり、体内で消化されるのではなく、胃や腸から吸収され、静脈から肝臓を通って全身の臓器に流れていくのだそうです。そのようにして体内に取り入れられたアルコールの大部分は、肝臓内でアルコール脱水素酵素(ADH)によってアセトアルデヒドに酸化され、さらに2型アルデヒド脱水素酵素(ADLH2)によって酢酸に酸化されて、最終的には炭酸ガスと水になります。アルコールに強いよわいは、体内でいろいろな悪さをするアセトアルデヒドをいかに早く分解するか、なのだそうです。アセトアルデヒドを分解するADLH2には、分解を活発に促進する活性型から、分解が非常に鈍い非活性型まで3種類あって、検査の結果、わたしの場合は非活性型で、アセトアルデヒドを分解しない体質だということでした。ですから、飲酒すれば血液中のアセトアルデヒド濃度が上がる一方で、アルコールによってすぐに顔面の紅潮、動悸、頭痛といったフラッシング反応を起こすのだそうです。わたしの場合は極端なケースなのでしょうが、一般論としても、日本人の半数近くは、アセトアルデヒドの分解が比較的遅い低活性型の人らしく、逆に外国人の場合は分解の早い人が多いのだそうです。そういえば、ウオッカやアブサン、ラム酒など、アルコール度数の高い酒を浴びるように飲んでも外国人にはケロッとしている人が多いのですが、単に体が大きいということだけではなさそうです。まあそんなわけで、アルコールを受けつけない体ということでは、お医者さんの保証つきになってしまったのですから、お酒は飲めないのだということで、あきらめなければならないのでしょう。

アセトアルデヒドを分解できないという体質に加えて、わたしの場合、他にもアルコールを苦手とする理由があるのです。一つは血圧が低いという体質であり、もう一つはアルコール性のアレルギーがあることです。一般的にアルコールを飲むと、一時的に血圧を下げます。これは、血液中のアセトアルデヒドによって血管が広がるためです。そうでなくても血圧が低く、その上血管が広がってしまうので、当然血の流れが悪くなってしまいます。流れがわるければ、血管の中の老廃物が流れにくくなってしまう結果、血管がつまる恐れが生ずるわけです。脳梗塞や心筋梗塞に気をつけねばならないでしょう。そこまで悪く考えないまでも、飲酒によって脳へ行く血液が少なくなることは現実にあるようです。じつは、アルコールを飲んで急に立ち上がったときなど、今までに数度、瞬間的に失神してびっくりしたことがあります。自分では失神時間は数秒単位だと思うのですが、一度マージャン中にトイレへ行き、気づいたらトイレの床に座り込んでいたということがありました。その際は、「ずいぶん遅かったじゃねえか。まさかツキをつけてきたんじゃあるめえな」などと、悪たれ口をたたかれましたので、もしかしたら2、3分単位で気を失っていたのかもしれません。そうなれば、これはもう笑い話で済むことではないでしょう。アルコール・アレルギーについては、わたしの場合、少量のアルコールによってすぐに顔が赤くなり、動悸や湿疹・かゆみが発生し、肛門(痔疾)への影響といったアレルギー症状がでるのです。わたしの体内には、かなりしつこいウイルスが宿っているらしく、昨年4月に発症した帯状疱疹とウイルス性湿疹との合併症の後遺症で、今でも2日おきに1錠の薬を服用しないと湿疹・かゆみが訪れます。いつだったか、めったに口にできない酒だから、と一口勧められ口にしたのですが、その際は、何日も薬を絶ったかのように、体のあちらこちらに発疹し、かゆくなって辟易としたものです。わたしにとって、アルコールとの相性の悪さは、もうどうしようもなさそうです。

さて、標題の「下戸ならぬこそ、男はよけれ」のことです。これは、ご存知吉田兼好の『徒然草』一段「いでや、この世に」の中の最後の一節ですが、原文は、「ありたき事は、(中略)声をかしくて拍子取り、痛ましうするものから、下戸ならぬこそ、男はよけれ」という文章です。兼好法師にいわせれば、「身につけておきたいことのひとつは、(宴会の席などでは)声に味があり、手拍子などで音頭を取り、酒をすすめられれば、男というもの、いかにも困ったような顔をしながら、それでもまったく飲めないというのではなく、口にすることがのぞましい」、というのです。法師は酒好きらしく、他の段でも酒について書いていますが、たしかに、酒の席で浮かれるだけが能ではないまでも、やはりその場に合わせて、多少は酒を嗜むことは必要でしょう。飲めないわたしでも、法師の意見には賛成で、ぜひそうありたいな、いや、そうありたかったな、とつくづく思っています。とくに会社勤務からはなれ、世間との付き合いがうすれてきますと、その感をつよくします。ましてや、わたしのように、アルコールはだめ、ゴルフもやらず、囲碁・将棋も苦手、こうなると、お付き合いの口実がまったくなくなってしまうのです。かつてはさほど感じなかったのですが、最近とみに、美味しそうにお酒を嗜む人たちがうらやましく、飲めないことがつくづく淋しく思えてなりません。やはり、「下戸ならぬこそ、男はよけれ」なのです。この淋しい気持ち、いったい誰にぶつければよいのでしょうか。

(平成22年 7月)

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