ノートン・サイモン美術館 アメリカ・カリフォルニア州にパサデナという町があります。20に近いロサンゼルスの有力な衛星都市の一つで、ロスの北東部、サン・ガブリエル山系を背にした、落ち着いたたたずまいをみせる町です。わたしは、仕事の関係で、この町にあった世界有数のエンジニアリング会社を1980年から翌年にかけて3回訪問し、延べにして30日ほどこの町に滞在したことがあります。この町は、東のMITに対して西のNIT(カル・テックと俗称されるカリフォルニア工科大学のこと)やNASAの研究所があることで知られていますが、新年恒例のフットボール試合が行なわれるローズボール競技場も有名です(現在は、競技場を会場にしたフリーマーケットでも知られているようですが)。その他に、この町の名を高めているのは、ノートン・サイモン美術館です。休日にロスへ行こうと乗った路線バスの中からたまたま見出した美術館で、その頃はまだ、日本で発行されていた旅行案内書には出ていなかったと思います。 この美術館は、元々市内にあったパサデナ近代美術館が財政的に破綻していたため、アメリカの著名な大富豪であり、美術品の収集家としても知られたノートン・サイモン氏が買い取り、全面的に改装し、自分の収集品を加えて一般公開した美術館です。サイモン氏は、アメリカではさほど珍しくはない、企業買収でつぎつぎと事業規模を拡大して財を成した事業家ですが、収集家として彼の名を一躍有名にしたのは、1965年にレンブラントの「少年像」(後述)を223万ドル(当時の換算レートで約5億3000万円)という破格の値で落札したことです。これは、当時としては、NYのメトロポリタン美術館が同じレンブラントの作品を230万ドルで買い取った額に次ぐ史上2番目の高値、しかもそれを個人が買い取ったということで話題をよんだのです。その後も各種オークションでの彼の派手な活動は、収集家の間で話題を提供していたようで、彼の美術品の収集の仕方は、事業を拡大化していくのと同じ手法だ、といわれることもあるようです。確かに一度手にした美術品を、ときには何十倍もの値で転売して、より価値の高い美術品を手にしていくことが巧みだったようです。しかし、このことは、一方で絵画に対する彼の審美感の高さを示しているともいえるわけで、彼自身は、絵画を投機の対象と考えてオークションの会場を渡り歩く、旗師(はたし)的ないきかたには批判的だったそうです。彼はこう言っています。「自分の収集品を手放すというのは、単に気持ちや好みが変わったということではない。それは、美に対する知識の向上を意味しているのである。良い作品、重要な作品が分かるようになった結果なのだ」と。この言葉の中に、収集家としてのノートン・サイモンの考え方が凝縮されているのです。 いずれにしても、彼の財力と審美感をバックに、ノートン・サイモン美術館は、ロスにあるゲッティ・センター(美術品収集で有名だった石油王ゲッティの収蔵品を展示)、UCLA(カリフォルニア州立大ロサンゼルス校)ハマー美術館、ロサンゼルス郡立美術館や、サンディエゴのティムケン・ギャラリーなど、数多くの有名美術館をおさえて、アメリカにおいてミシシッピー以西最大の美術館として名をはせているのです。事実、同館のパーキングに駐車していた車は、地元カリフォルニアより、他州のナンバープレートの方が多かったものでした。 そのようなエピソードを含めて話題性の富んだノートン・サイモン美術館ですが、では実際の収蔵品にはどのような作品があるのでしょうか。むろん一口で表現することは難しいのですが、キャッチフレーズ的に表現するなら、「当館には、14世紀から現代にいたるヨーロッパ絵画の主流ともいうべき作家の作品が幅広く網羅されております」ということになるのでしょうか。わたしが訪問した当時は、私自身、海外の美術館は初めてのことでしたので、西洋美術(絵画)史を彩る大家の作品が一堂に展覧されているのを見たときは、目を瞠(みは)る思いでした。それも、各室の壁面という壁面を一流の大家の一流の作品(と思っていましたが)で飾られていましたので、まさに絢爛(けんらん)豪華であり、館内にいる間、さながら自分の体が宙を舞っているかのようで、へんに落ち着かない思いでした。作品の質の高さからいえば、ワシントンやロンドンのナショナル・ギャラリーをはじめ、世界の名だたる美術館・博物館から作品の貸し出しを申し込まれることが多く、わたしもその後、世界各地のいくつかの著名な美術館を経験しましたが、一日かけても、とても見尽くせないといったルーブルやプラドといった大規模な美術館とは異なり、半日もあれば十分堪能できる点で、世界でも有数な特徴ある美術館といってもよいのではないでしょうか。 1.オランダおよびフランドル派絵画 2.スペイン絵画 3.イタリア絵画 4.印象派を中心にしたフランス絵画 5.タピスリー(つづれ織壁掛け) 館内の作品を、以上の系統の作品群を縦糸にたとえますと、横糸として、やはり五つの特別展示コーナーが設けられています。この縦・横の糸ががっちりと組み合わさり、ノートン・サイモン美術館の価値を不動なものとしている、といえるのでしょう。ちなみに、その五つとは、つぎの展示コーナーです。 もとより、わたしは美術評論家でも、絵画に特段の知識を持っている者でもありません。ましてや、同館の所蔵品について論じるには、あまりにも厖大な数の作品ですから、ここでは、同館を代表する著名な作品の名前だけ挙げるにとどめたいと思います。それには恰好の書があります。たまたまパサデナに滞在中に、本屋の店頭を賑わしていたベストセラーズの1冊に、“The Book of Lists”というペーパーブックがありました。その書の中に、「ノートン・サイモン美術館の世界的にみても有数であると思われる10の作品」として10点の作品の名を挙げています。これらの作品について、文中で何枚かの写真を紹介しますが、そのすばらしさは、素人のわたしがなまじ解説などつければ、かえって作品の価値を落としてしまうでしょうから、ここではその名を列挙するにとどめます。 1)フランシスコ・デ・スルバン「静物(レモン、オレンジと一輪のバラの花)」 3)レンブラント「少年像」 4)ゴッホ「農夫の肖像画」 18)セザンヌ「花びんのチューリップ」 しかし、ただ1点だけ、鮮烈な印象を受け、今なお瞼に焼きついてはなれない作品がありましたので、その作品について、最後にふれておきたいと思います。それは、1923年に描かれたピカソの「婦人半身像」についてです。1881年、画家の子として生まれたピカソがまだ10代の後半、いわゆる「青の時代」に入る前のころ、デッサンを重んじていたということはよく知られています。そして、「黒の時代」からキュビスムへ移行した後、1920年前後の一時期ですが、古典へ復帰したといわれております。「婦人半身像」は、まさにこのことを裏付けている作品なのです。白と黒のみで仕上げられた作品で、そこに秘められたおそるべきデッサン力は、アブストラクト作家であるピカソが故に、観る人を引きずり込まずにおかない強烈な神秘性を秘めています。わたしは、この絵を前にしたときの、痛みつくような胸の高鳴りを、今なおつよく覚えています。 以下は付記的に認めるのですが、ノートン・サイモン美術館へのわたしの訪問はもう30年も前のことで、内容としては古くなっている点をご承知おき願いたいと思います。たとえば、紹介した絵が、現在は所蔵されていない、なんてこともあるかもしれませんので、その点にはご容赦願います。また、ロスからパサデナへは、現在は地下鉄(メトロレイル)ゴールドラインが通じており、MEMORIAL PARK駅から徒歩10分と、たいへん便利になっているようです。 (平成22年 3月) |
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