映画の舞台となった二つのホテル(2)

サフィルホテル(映画ではアレッティ)

(前号よりつづく)
二つ目のホテルは映画『望郷』の舞台となったサフィル・ホテル(映画ではアレッティ)についてです。北アフリカ・アルジェリアの首都・アルジェに現存しています。アルジェにはひょんなことから縁を持ち、そして会社員として最後の勤務場所となったところです。ひょんなというのは、1998年(平成10年)のこと、その10年ほど前に子会社に移籍していたことで海外勤務の機会がなくなり、しかも定年も目前になって鬱々していた時期に、会社同期入社のM兄から思わぬ話が舞い込んだのです。Mとは本社勤務のころ日仏米三国によるサウジアラビアでのコンソーシアム(経済援助業務)で同じ仕事をしたことがあり、思わぬ話というのは、在アルジェリアの某日本国機関で調査業務の人材を求めているというのです。海外での業務ということで食指が動きましたが、会社としてはアルジェリアでの仕事はやったことがなく、他方、同国は「アルジェリア危機の10年」の最中で国内ではげしいテロが発生していた時期であり、当然二の足を踏んだものでした。結果としては、その年の3月に調査のために入国し、諸準備のために夏に再度入国、そして翌年7月に工事のために三度目の入国をしてその年の12月に帰国した次第です。じつは通算して同国に滞在した九ケ月ほどの間に、街中をのんびりと散策するなんてことは全く許されず、サフィル・ホテルへは、工事のために入国して間もなくの8月に大使館の許可を得て道路越しに見学しただけでした。映画の舞台となったカスバ(アラビア語で「城塞」の意・旧市街地)とフランス租界(新市街地)とがぶつかるところに建つホテルは、カスバへの門口であると同時に、そこから地中海を渡りさえすればマロニエの香り豊かな華のパリへ通じる場所でもあることをつよく感じたものでした。

アルジェの遠望・背後の丘右端がカスバにあたる

さてフランス映画『望郷』のことですが、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の作品で日本上映は1939年、この映画をわたしが知ったのは、ずいぶん後のこと、成人になってからでした。シナリオライターの猪俣勝人氏は著書『世界映画名作全史』の中で、この映画に対して、「なんといっても題名がよかった。背景がよかった。そして話がよかった。ことにラストシーンの鮮烈な印象は他に類をみなかった」と評しています。じつはわたしにとっても、これ以上のことは書けないし、それで十分だと思っています。ただほんのさわりだけですが、映画の主人公ペペ・ル・モコ(名優ジャン・ギャバン)はフランスから逃亡してきて、迷路のような街並みの無法地帯カスバの帝王になっており、警察はまったく手が出せずに、ただ地元の刑事スリマンが執拗に逮捕の機会をねらっていました。ある日パリを彷彿とさせる洗練された美人 ギャビー(ミレーユ・バラン)が観光客としてアルジェ港に近いアレッティ・ホテルに宿泊します。一目ギャビ―を見たペペは彼女から懐かしいパリの空気を感じ取り、パリに帰りたい想いからギャビ―との恋におちます。スリマンは二人の恋を見逃さず、うまく利用して仕組んだ巧みな罠にペペはまんまとはまってしまうのです。9時にホテルで逢う二人の約束を耳にした刑事はペペを巧みにカスバから誘い出し、ギャビ―にはペペは警察に射殺されたとして失意の彼女を10時出航の船に乗せてしまう。約束していたホテルの食堂にはギャビ―の姿はなく、待ち受けたスリマンはペペにギャビ―は10時に出航する船で待っていると伝え、ぺぺが乗船したところで逮捕し、手錠をかけてしまう。船尾にはひとりギャビ―が立ちつくし、寂しげな表情で何かを求めるかのようにカスバの方を見やっている。出航の時間が近づいた。ペペは港の鉄製格子の門にしがみついて船尾のギャビ―をみつめ、思わずギャビーと叫びかけたが、その声は出航の汽笛にむなしくかき消され、ギャビ―には届かなかった。ぺぺは隠し持っていたナイフを取り出した。
映画『望郷』の評価については、じつはわたしにはよくわかりません。ただ、知人から耳にしたところでは、戦前から評判は良く、戦後になりハリウッド映画がどんどん入るようになった後にも、日本で好評だということがフランス国内でも話題になったようです。しかしわたしが思うに、戦前はともかく、戦後に至っても映画『望郷』がもてはやされたのは、エト邦枝がはじめてレコーディングし、のちに一世を風靡することになった歌『カスバの女』が巷にあふれたためだと思うのです。この歌は久我山明が、作詞家の大高ひさをに自ら作曲した曲に詞を付けてもらい、映画『深夜の女』の主題曲として昭和30年に世に出した曲です。しかし映画は製作中止となり、レコードの売れ行きもかんばしくなく、エト邦枝も一旦は歌の世界から消えてしまったようです。しかし昭和40年代になって、夜のムードを看板にした緑川アコの曲が日本クラウンから発売されるや、竹腰ひろ子・沢たまきが後を追い、エト邦枝も返り咲いて一大ヒット曲となったのです。驚くことに、藤圭子・青江三奈・石川さゆり・岸洋子、あるいは裕次郎・菅原文太なども唄うようになったのですから、これはもう昭和の名歌と言えるでしょう。何故なのか、理由は簡単です。作詞を頼まれた大高が、自分は土を踏んだこともないアルジェリアのカスバを舞台として選び、しかも映画『望郷』を下敷きにして作詞されているために、カスバの女の心情が彼女たちをまったく知らない日本人の心にもしんみりと伝わってくるからではないでしょうか。
わたしがアルジェリアへ行くようになったとき、知人たちからはよく、「アルジェか、カスバの女によろしくな」と声を掛けられ、もどってからはわたし自身、大高ひさをの歌詞をよく取り出しては、そこに込められた詩情がじつによく伝わってきたことに驚いたものでした。

(2024年11月)



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