昭和の名車・スバル360のこと

最近は目にすることのないモータリゼーション(車社会化)という言葉は、昭和40年代には連日のように持てはやされたもので、わたしもその渦中にいました。生来の不器用のため、山口県小野田で3回目にしてようやく免許を取得し、昭和44年の年頭に免許証を手にしたときは、ほんとうに嬉しかったものです。
そうなれば、つぎは車の購入です。通常ならいろいろ考えるのでしょうが、わたしの場合、至極かんたんでした。自分の腕からして、初めから新車はむり、それも小さい車のほうがよかろうと決め、中古となると信頼のおける店がいいと東京の知り合いの店と電話でコンタクトし、整備し終わったばかりのスバル360が1台あるというので、それを即断で決めました。さて、その車を東京から小野田までどう運ぶかですが、それも、現場で働いている運転手さんが休日を利用して運んでくれることになり、まさに「渡りに舟」で決まりました。2月半ばの土曜の午後に東京へ向かった彼から月曜の午前に連絡が入り、わたしはすぐさま宿舎にもどりました。宿舎横に停められたマイカー・スバル360(41年型)はわたしの目にはまばゆいほど輝いていました。自分の手で、自分の車を実際に動かしたかったわたしは、疲れている彼を自宅へ送りがてら現場事務所へもどりました。途中、「いいじゃない、その調子、うまいじゃないですか」、半ばおだててくれた運転手さんの言葉を真に受けて、「ああ、わたしもようやくマイカーを運転することになったのだ!」、感極まる思いでした。ところで、山口県というのは長州閥として、国政上有力な首班を生んだ県です。多分そのせいでしょうか、山間部の町村に至るまで道路整備が進んでいました。それだけでも、初心者には大いに助かったものです。そんなこともあって、休日には車を駆って県西の観光地へのドライブをよく楽しんだものでした。2歳になったばかりの娘も、スバル360を指さして「パパのブーブー」、と可愛いい仕種で喜んでくれました。そのうち、九州の小倉まで関門トンネルを通って買い物に行くようになりました。四国愛媛の菊間町、山口の小野田といわゆる都会生活から離れていた家内にとっては小倉は大都市、デパートでのショッピングも楽しめるので大喜びでした。県外へ本格的に出たのは5月の博多どんたく見学でした。2日をかけて往復360キロという、わたしにとって初めての本格的なドライブでした。それまでほぼ順調に走っていた愛車でしたが、このドライブでちょっとした欠陥が発見されました。小野田へもどってエンジンを点検したところ、エンジン自体の固定が不十分だったことと、着火させるためのプラグの調子があまりよくなかったことです。わたし自身、メカには弱いのですが、自分の車のことですから、以後、気をつけるようになりました。山口県内の道路についてもう1点書き加えますと、山口はその名の通り山が多いのですが、山間部の道路もまた整備がよく行き届き、走り易かったことです。そこでみっちり走ったことで、それ以後、山間部の運転は得意になっており、自分のカーライフの上で役に立ったと思います。それはそうと、山口の名所の一つに秋芳洞(あきよしどう)があります。わたしの上司が現場に来られた際、そこへ案内するためにマイカーを利用しました。柄の大きい方で、乗る車にやや不安げの様子でしたが、「大丈夫ですよ、任せてください」と後部座席に座ってもらいました。むろん自信はあったのですが、4人もの男性が乗りこみ車体がずいぶん下がったことで、秋芳洞まではいいとして、標高300mほどの秋吉台へ上れるかが不安になったものでした。まあ、無事に小野田へもどれて、男性4人の乗車でも、わが愛車十分用を為すことがわかりほっとした次第です。
ことかように昭和44年(1969年)はわがカーライフのはじまりの年だったわけで、わたしにとっては忘れ難い年でした。家族を連れては、時間をつくってドライブを楽しみました。10月初めに家族が東京へもどることになり、残された数ヶ月の間、まだ行ってなかった山陰青海島・城下町萩・防府の毛利公園などを回りました。わたしは家族が家に落ち着いたのを見届け、10月半ばに小野田へもどり、残務整理のため1月末まで小野田にとどまりました。その間、それまでに行けなかった私的目的の場所へのドライブを2回果たしました。1回は徳山の現場事務所訪問で、たまたま勤務していた二人の知り合いに会えたこと、2回目は滞在中にぜひ訪ねたかった防府牟礼の阿弥陀寺で、そこでわたしは夢にまで見た俊乗坊重源(鎌倉時代に炎上した東大寺再興の大和尚)の座像にお会いできたのです。小野田・牟礼間は往復で185キロ、今にも雪が落ちてきそうな中、暖房の効かない車中で、足元まで毛布を巻きつけて慎重に運転しましたが、重源像に会えた興奮のあまり寒さはさほど気になりませんでした。小野田での用向きはこれで完遂、昭和45年1月27日、20ヶ月滞在した小野田を愛車で去りました。東京までのルートは、小倉まで陸路、そしてフェリーで神戸(船旅15時間)へ渡り、そこから2日かけて名神・東名を走り、厚木で高速を下りて多摩平の自宅到着は午後3時過ぎでした。愛車スバル360によるわたしの初の高速道路走行はこうして無事に終わりました。走行中は我ながら快適にとばしたつもりでしたが(?)、京都辺りで後続車の警笛にずいぶん脅かされたこと、いまでも覚えております。いずれにしても、愛車スバル360(通称てんとう虫)によるほぼ1年間のカーライフは満足のいく、そして楽しいものでした。

(2024年1月)



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