息抜きに(2)

北アフリカ・アルジェリア編:

ショッピングセンターにて

アルジェ市内の観光スポットの一つである戦没者慰霊塔(モ二モン)は小高いクリエールの丘にそびえている。そこには近代的なショッピングセンターがあり、映画館やレストランもあり、休日にはかなりの人出となるが、実際に買い物をしている人を見かけることは少ない。女性の服装を見ると、フランスの影響を受けた洋装の人と、敬虔なモスレムとが違和感なく混交している。写真のアングルがおかしいのは、目立たぬように下から撮っているためである。

プールサイドにて

アルジェの西の海岸沿いにあるシェラトンホテルは、近くに軍の施設があることから、比較的安全だということで何回か訪れた。ホテルのプールはテロの国とは思えないほど平和で、水着の花が咲いていた。もっとも、写真を構えたわたしのそばでは、いかつい警備官が目を光らせてはいたけれど……

警備会社の女性営業マン

宿舎の警備を担当した警備会社の営業のリーダー。彼女、イタリア系だそうで、だとすれば、かつてのローマ帝国の血が流れているのだろうか?大使館以外で、アルジェで英語で会話した最初で最後の女性であった。

モニモンをバックにしたアベック

クリエールのショッピングセンター前で、写真を撮るようせがまれたアベックの写真。そのあげく、「おめえ、俺のスケと一緒に写真を撮りたくねえか(たぶんそんなところか?)」といわれ、心の中を読まれたようで、おことばに甘えて1枚撮ってもらった。ここでお見せは出来ないけれど……

女子学生さんたち

クリエールのショッピング・モールでは学生さんらしき女性の姿を見ることもある。チュニジアから来てもらった通訳さんに写真撮影の許諾を得てもらい、一緒に撮ったときの写真。皆さんモスレムのようであった。

現場で休憩中のレーバーたち

現場で働いていたのは多くは電工で、山岳地帯からのベルベル人であった。総じてまじめで、器用であった。右端の人物は調子がよく、一人おいたいかにも真面目そうな青年は、日本の職人さんたちから最も信頼されていた人物であった。

家政婦さん

現場工事中宿泊していたベンガナ邸の家政婦さん。美人で優しそうな女性、若いころ仏・マルセーユで婦人服メーカーの縫い子をしていたとか。なんとか日本人の口に合うような料理をと努力していたが、口に合わずに残されたときなど、本当に悲しげな表情をするので、見ていて気の毒だった。

北アフリカ・チュニジア:

軽食中の母子

ビザ取得のため、工事途中で1週間ほどの休暇を取り、チュニス市内マルサ海岸の高級ホテルに宿泊して息抜きをした。その頃はアルジェのテロはほぼ沈静化はしていたが、それでもチュニスならより安全、気の休まる数日だった。レストランの隣席で食事中の親子、許しを得て撮らさせてもらった。

レストランにて

チュニス市内にはこじんまりした瀟洒なレストランが多く、ミシュラン・ガイドに該当する表示としてフォークの本数(1〜3本)で示した陶板が店頭に掲げられていた。ウェイター兼ソムリエ的な男性はサービス精神旺盛で、客が食べやすいように魚の骨を丁寧に取ってくれ、客としてはありがたかった。日本からも漁船が集まるほどの漁場、味もよかった。

中央アジア・ウズベキスタン:

ホテル従業員たち

タシケントでは、トルコ系の一流ホテルを定宿にしていたが、滞在中に親しくなったコーヒーショップのスタッフたち。本当はお気に入りのウェートレスが狙いではあったのだが……。正直に申して、この国の人種も複雑で区別がつかなかったのだが、色白のウェートレス、ウズベク系なのか、あるいはロシア系なのか、わたしには区別がつかなかった。ちなみに、ホテル勤務者は英語を使えることが必須で、また語学堪能な者は、キャリアアップをねらってカザフスタンに移ることもあるようだ。

鉄骨工場での通訳女性

工場へはじめて訪問した際に通訳として出てきた女性。まだ学生さんらしく、カセットで英語の勉強を始めたばかりだという。当然のことに仕事にならず、半日の間、お茶を飲みながらカタコトの英語で時間をつぶした。ちなみに通訳料は10ドル/日(当時の換算レートは130円/ドルていどだったと記憶)とのことであった。

タシケント市内の公園にて

タシケント市内の公園を散策していたら、可愛らしい女の子を連れた家族に出会った。ボディー・ランゲージで写真を撮っていいかと聞いたら、奥さんはすぐにポーズを取ってくれたが、旦那のほうは不機嫌そうだった。

孫を抱いた保養所の管理人

タシケントから東へ100キロほどのところに鉄骨会社の保養所があった。仕事そっちのけで、1日を費やし案内してくれた。キルギスとの国境に近く、はるか遠くに天山山脈が見えるところだった。保養所の管理人は、孫が可愛くてしょうがないようで、いずこの国も孫の可愛さは共通のようだ。

ガイドのディナさん母娘

サマルカンドへ2度目の訪問をしたときのガイドはディナさんという美しいママだった。日本から同行した鉄骨会社の社長さんが自己負担でアレンジしてくれた列車の旅で、そのつぎにタシケントへ行った際、渡すものがあって電話したところ、夜の10時過ぎにもかかわらず、ホテルまで来てくれた。女の子はもう眠いのか、ぐずっていた。

サマルカンドの市場にて

サマルカンドで寄ったバザールでの魚売りのおばちゃん。海のないウズベキスタン、すべて川魚であろうが、おばちゃん、「新鮮でおいしいよ!」と言わんばかりに、声を張り上げていた。

以上で、2回にわたっての「息抜きに」は終わりにいたします。

(2014年11月)

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