日本のクラシックホテル

箱根宮ノ下富士屋ホテル写生

仕事の関係で海外のホテルにはよく泊まりました。せっかくだから記念にと、写真・パンフの類をよく集め、一文にまとめたことがあります(2016年6月〜8月号 『わたしが泊まった世界のホテル(1)〜(3)』参照)。それに対して、日本国内ではホテルに泊まったものの、記念にという思いがあまり起こらず写真などはほとんど残していません。ただ、日本クラシックホテル協会加盟の9ホテルのうち、7ホテルについては宿泊や食事するなりで、何らかのかたちで利用していましたので、そのことについて一文をまとめました。
クラシックホテルとは、外国人の宿泊用に明治以降に建てられたホテルで、現に創業時のスタイルを維持・供用され、国の文化財か産業遺産に登録されているホテルのことで、スタイルが維持されている限り、改修・復元されているものも含めています。以下に加盟の9ホテルを創業年代順に並べてみますが、もっとも新しい川奈ホテルですらわたしの生年より前ですから、その古さはご想像できると思います。
○日光金谷ホテル       1873 有形文化財
○箱根宮ノ下・富士屋ホテル  1878 同上
△軽井沢・万平ホテル     1894 近代化産業遺産
○奈良ホテル         1909 同上
○東京ステーションホテル   1915 重要文化財
○横浜ホテルニューグランド  1927 近代化産業遺産
×蒲郡クラシックホテル    1934 同上
○雲仙観光ホテル       1935 有形文化財
×伊東・川奈ホテル      1936 近代化産業遺産
(凡例) ○:利用 △:立寄りのみ ×:不利用
(注記)重要文化財とは「文化財保護法」により指定されたもの。有形文化財とは、重要文化財を補完するもので、正式には登録有形文化財と称している。近代化産業遺産とは、わが国の産業近代化の過程を示す存在として通商産業省が認定した建物などである。

日光金谷ホテル

物心がついてからの記憶として、わたしがはじめて日光へ行ったのは高校3年の夏休み、ひとりで日光・中禅寺湖から半月峠越えで群馬側へ出たときのことでした。そのご何回か行っていますが、神橋から大谷川沿いに日光東照宮へ向かう途中、川向うの金谷ホテルのしっとりとした建物を見上げて、いつか泊まってみたいものだと思っていました。会社を定年退職してからしばらくの間、宇都宮のコンサルタント会社にお世話になり、そこを辞することになったとき、連れ合いを伴って挨拶に伺い、その足で日光へ行き、念願かなって金谷ホテルに泊まることができました。2002年の夏のことでした。明治初期に創業した(現建物はのちに場所を変えて建て直された)わが国最古の西洋風のホテルで、東照宮をモチーフにした和洋折衷の独特な雰囲気が醸(かも)し出す館内は、そこにいるだけで心が和んできます。ダイニングルームやロビーなどには、創業当時に使われていたスタンドやランプなどが今なお使われ、食堂の格天井に描かれた花鳥風月の絵、いたるところでノスタルジアを感じさせます。何よりも館内に滞在している間、じぶん自身が明治時代の空間の中にひたることができるわけで、これはすごいことですね。同ホテルには1泊しただけでしたが、せめてあと1、2泊したいところでした。翌日、奥日光から金精峠を抜けて上州方面へ出る予定がありましたのでそれがかなわず、たいへん残念なことでした。

     

箱根宮ノ下・富士屋ホテル

宮ノ下の富士屋ホテルといえば、横浜に住むわたしにとっては地元のホテルみたいなもの。食事・喫茶などでよく立ち寄りましたし、大学のクラス会がここで開かれたこともありました。はじめての宿泊は、サウジアラビアへ長期出張中の一時帰国時、ちょうど学校の夏休みにあたっていたので、家族で3泊しました。プールがあるというので、子どもたちは大喜びでしたが、宮ノ下ともなるとやはり高原、長くはつかっていられませんでした。本館の外観はスケッチに描いたように社寺建築で、和洋折衷の木造建築でしっとりとした造りです。金谷ホテル同様、明治初期の創業ですから、その長い歴史を物語る写真や史料が数多く残され、一室に展示されていました。わたしが特に気に入ったのは、館内に図書室が設けられており、アカデミックな雰囲気の中で閲覧のできることでした。目下ホテルは改修中のはずですが、早く再開され、ホテル特製のカレーライスをまた食してみたいものです。
地元といえば、東京ステーションホテルと横浜のホテルニューグランドもあります。地元だという点で、宿泊はともかく、利用だけはよくしたものです。東京ステーションホテルの良さは、なんといってもその利便性です。地方から上京する方とお会いする場合などはとくに好都合で、地方からでなくても、とっさに場所決めをするときなど、ついこのホテルの名を口にしてしまいます。本来なら、国の重要文化財に指定されている、辰野金吾設計の東京駅という建物内にある格式のあるホテルですが、逆に駅という公共性に富んだ建物だという点で、わりと気軽に入って行ける点がいいですね。それに運がよければ、ホテルから出たときに、外国から着任した大使が信任状捧呈のために皇居へ向かう際の儀装馬車に出会えるかも知れません。この光景は日本人でもよほどの運がなければ見られないでしょう。わたしはいまでも、このホテルには一度泊まってみたいなと思っています。ホテルニューグランドとなると、趣はステーションホテルとは大きく異なります。日ごろよく歩く道筋ですし、周辺を歩かないまでも、その存在は、近くにいるだけで、どうしても意識してしまい、人と会うために利用するという気持ちにはなれません。その代わりに、連れ合いとは食事や喫茶で利用したものでした。この建物も、著名な建築家渡辺仁の設計で、まず立地している場所が、海に面し、それも山下公園を前庭にして建てられており、横浜のシンボリック的な場所であり、すばらしい建物だと思います。いまは高層の新館が隣接して建てられ、それなりにバランスよくまとめられていますが、わたしはそちらへ入ったことはありません。また、旧舘正面から上がる大階段、もうめったに利用しませんが、つい気後れして、上がる際にはいつも緊張したものです。

     

奈良ホテル

このホテルも、わたしの大好きなマイ・ホテルです。おそらくクラシックホテルの中では、一人であるいは家族同伴で、もっとも多く宿泊したと思います。学生時代から南都大安寺の前貫主ご夫妻に私淑し、自分で口にするのもおこがましいのですが、なぜか可愛がられ(?)、学生時代には毎年のように泊めていただきました。そして、市内に宿泊しなければ行けないような女人高野の室生寺、あるいは浄瑠璃寺など南山城に点在する諸寺を散策したり、夕闇せまる中、「お水取り」などへも行ったものでした。社会人になってからは、そうもいかず、代わりに選んだのが奈良ホテルだったわけです。なぜそのような名門ホテルにと問われそうですが、奈良には意外とホテルが少なく、猿沢の池に近いという立地の良さから、ついこのホテルを選び、ときには家族も一緒にということもあり、連れ合いも、娘たちも大喜びしたものでした。外観は金谷、富士屋ホテル同様の桃山御殿風、和洋折衷でしっとりとした室内は心を和ましてくれます。館内至るところに大家の日本画が掲げられ、それを観て歩くだけでも楽しいものでした。

雲仙観光ホテル

このホテルは、ひょんなことから泊まることになったのです。じつは、小野田の現場にいたころ(1969年)、GWを利用して家族と長崎方面を旅したことがありました。そのときは、雲仙で富貴屋という新装間もない気持ちの良い宿でしたが、街を歩いていたとき目にしたのが雲仙観光ホテルだったのです。まさに一目ぼれし、いつか泊まってみたいと思っていました。周辺の環境にマッチするよう山小屋を意識した和洋折衷のデザインで、むき出しの丸太の柱を使うなど、木の質感を最大限に活かしていました。そのホテルに、まさか実際に泊まれようとは思っていませんでした。一目ぼれしたときから10年ほど経ったころ、たまたま南米の現場でお世話になったアメリカ人が来日し、自分がこれから赴任する予定だったサウジアラビア・ジェッダの現場でもご一緒するということで、ゴルフを楽しむエスコート役として雲仙へ行ったのです。そして好都合なことにスポンサーも付き、同ホテルが予約されていたのです。南米時代から顔見知りだった奥さまも同伴されており、たいへんご満悦でした。このようなチャンスがもう1回ありました。最初の泊まりから数年ほど経ったころ、サウジアラビアから研修のため何名かの若い技術者が会社に派遣されてきました。そして鉄骨の製作過程の研修ということで、懇意にしていた会社に依頼し、製作過程を見学させるために3人の技術者を熊本県内の工場へ案内したのです。このときも、外国人だということで、雲仙観光ホテルに予約してくれたという次第です。サウジ人というのは意外なことに木造の建物がお好きなようで、ジェッダ市内にはローシャンと称される木彫りのバルコニー付き古い木造の住宅が立ち並ぶ一角が保存されているほどです。ホテルを見た彼らは大好きなおもちゃを手にした子供のようにはしゃぎ、酸性のつよい雲仙の硫黄湯(大浴場)へつかりたいと言い出したのです。むろん入浴は可能ですが、公衆浴場の風習のない彼らは、下ばきをつけたまま入りたいと言うのです。これには困りましたが、フロントを通して支配人に事情を説明し、許しを請うてみたところ、なんと2、3の条件付きで許してくれたのです。彼らが大喜びしたことはいうまでもなく、定められ時間内、日本の温泉を楽しんでいました。ホテルとして正しい処置だったかどうか、いまでもわたしには判断できないでいますが、国際感覚に富んだ素晴らしいホテルであることだけは確かなことでしょう。
残りの3ホテルについても、ちょっとふれておきます。軽井沢の万平ホテルについてはドライブ中に、2回ほど立ち寄りました。ゴルフをたしなめないわたしとしては、伊東・川奈ホテルへは近づいたこともありません。蒲郡クラシックホテルは、小津監督の映画『彼岸花』の劇中主人公たちがクラス会をやった舞台としてつよい印象が残っています。機会があればと、ずうっと思っていましたが、蒲郡は途中下車しかチャンスがなく、結局、行きそびれてしまいました。残念なことでした。

    

(2018年07月)

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