横浜市内いにしえの道(1)

関東地方の鎌倉街道図
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古道といった場合、古くは縄文・弥生時代から人が生活する上で道はあったわけです。いわゆる「踏み分け道」、「木道」、あるいは時代が下って弥生期の遺跡などからは、明らかに計画された道として「硬化面」などが、横浜市内でも近年発掘された遺跡で発見されています。しかし、本稿ではそこまでさかのぼる気はないし、その力もありません。ということで縄文・弥生時代をのぞけば、律令制度下の五畿七道に始まり、鎌倉期の鎌倉道(鎌倉街道)、そして幕末を含めて江戸期の道ということになります。
律令下、時の政府(朝廷)は強力な中央集権化を図るため、全国を数十の国に分け、京近傍の五国(畿内)とその他の地方諸国を七道に分け、各国には国府を設け、京を起点に国府間を官道で結んで統治しました。これが五畿七道で、七道は地方区画であると同時に、官道の名称でもあったのです。この制度は、現代に至るもわが国の行政区画として色濃く残っているわけです。七道の研究者としては地理学者・木下良氏が知られていますが、七道の顕著な特徴として、道幅はゆうに10メートルを超え、所によっては石が敷かれ、側溝を持つ直線的な道だと言われています。孫引きになって恐縮ですが、わたしが私淑していた歴史家の網野善彦先生の著によると、神奈川大学で職場を同じくしていた木下氏から直接聞いた話として、「山の裾野に向かって直線道路を発掘中、山に突き当たったので、地図上に物差しで直線を引き、山の向こう側をそれに基づいて発掘したところ、その通りに道が現われた」そうです。中国を模範にして進めていた律令国家の、若さみなぎる建国の意欲、そして権力志向をつよく感じさせる話だと申せます。この官道、横浜ではどんな位置づけになるでしょうか。

五畿七道図

官道は国府間を幹線が結び、国内に入ると国府を起点に郡家(ぐうけ 郡庁所在地)との間、あるいは郡家間も伝路で結ばれていたに違いありません。当時、相模国の国府は平塚(大住郡)ないしは海老名(高座郡)でしたから、伊豆国から足柄峠を越えてきた東海道はこの辺りまで来て、そこから道を大きく横須賀・走水方面へ向けたと思われます。なぜなら、五畿七道制の発足当時は、武蔵国は東海道ではなく、東山道に属していましたから、陸路としての官道はいったん走水で途切れ、海路で上総に渡って、下総・常陸へ向かっていました。この点から言えば、現在の横浜市域は官道に見放されていたと思われます。しかしこの制度、相模の隣国である武蔵国が東山道という別の行政区画だというのはなにかと不都合だったのでしょう、ごく早い時期に武蔵国は東海道に編入されました。その結果、幹線である東海道は武蔵の国府・府中に向かって付け替えられ、それに応じて武蔵国の都築郡、久良郡(のちの久良岐郡)の郡家へは官道(伝路)が通ずるようになったでしょうから、都築郡郡家と想定される、横浜市最北に位置する青葉区の長者原遺跡から道路遺跡が見つかる可能性は出てくるかも知れません。また、相模の国府があった平塚・海老名あたりから走水へ直線を引きますと、まさに鎌倉(大倉の辻あたり)で合流し、さらにその線上には官道敷設に伴い何らかの施設のあったことを意味する「大道(だいどう)」という地名もあるのです。その地は、往時相模・武蔵両国の境界という微妙な場所で、時代によっては相模国鎌倉郡、武蔵国久良郡と行政区画が入れ替わることもあったわけですから、現在の横浜市金沢区に官道、しかも幹線である古代東海道が走っていたと言えなくもないでしょう。

前岡(舞岡)の庚申塔

横浜に住むようになってから、鎌倉道(あるいは鎌倉街道)という言葉をよく耳にするようになりました。やはり鎌倉に近いせいなのでしょう。鎌倉道を耳にしますと、わたしなどはどうしても「いざ鎌倉」という言葉を思い出し、謡曲『鉢の木』の話と結びつけてしまいます。雪降る夕暮れどき、下野国佐野の源左衛門常世のあばら家を尋ね、一夜の宿を頼んだ旅僧姿の、先の幕府執権北条時頼の話です。大切にしていた盆栽の鉢を火にくべ、粗末な一膳の粟飯で歓待するのが精いっぱいという貧しい暮らしの常世でしたが、「いざ鎌倉」に備えて鎧となぎなたを入念に手入れし、そして鎌倉へいつでも馳せ参じられるよう愛馬の手入れだけは怠らずにしていました。後日、鎌倉から召集がかかったとき、常世は下野からいち早く鎌倉へ駆けつけ、時頼にその忠義心を称えられたそうですが、常世が愛馬を走らせた道こそが鎌倉道です。幕府の誕生とともに、地方の御家人を鎌倉に召集するために開かれた道のことです。鎌倉を護るためであり、その基盤を強めるためでありますから、とうぜん関東がもっとも充実しており、上・中・下道と称される主要道に加え、支線、連絡線など数多くの道が鎌倉を起点に末広状に関東一円に拡がっていました。
主要道の経路は概略次のようになります。まず上道(かみつ道)は鎌倉を発して横浜の最西部・泉区の飯田・上瀬谷を通って町田へ出ます。そこから国府の府中を通り、小金井・東村山を経由して上州へ抜けて行きます。なお、町田から分岐した山道が五日市・秩父を通り抜け、高崎の手前でふたたび上道と合流します。中道(なかつ道)は鎌倉山ノ内から上永谷を経由し横浜・旭区の鶴ヶ峰を経て二子で多摩川を渡り、東京へ入ってから世田谷・中野・板橋を抜けて埼玉へ入り、奥州へ向かいます。最後は下道(しもつ道)で、この道は永谷で中道から岐れて、「ぐみょうじ道」として横浜の名刹弘明寺を経由して保土ヶ谷の帷子へ至り、三ツ沢台から片倉・菊名・綱島と経由し、丸子で多摩川を渡り東京へ入ります。そのあとは池上・大井・高輪などを通って、現在の東京都心へ入り、鳥越の先で常陸へ向かう下道から下総道が岐れて房総方面へ向かいます。じつは、この下道のほかに、横須賀走水方面へ向かった律令下の官道を利用して、鎌倉からいったん金沢の海岸へ出て、保土ヶ谷の手前で下道と合流する支線みたいな道がありました。六浦道と「かなさわ道」です。改めて後述しますが、ひょっとしたらこちらの道の方が下道より古いのかな、とわたしは考えています。

能見台に遺る美山の句碑

「かなさわ道」の名を知ったのは、そう古い話ではありません。海外最後の仕事だった中央アジア・ウズベキスタンのタシケントからもどって、多少なりと体が空いたとき、横須賀市観光ボランティアガイドの会が主催する歩く会に何度か参加するうちに、同会主催の「浦賀道から金沢道コース2(上大岡―保土ヶ谷)」に参加したのです。平成23年(2011年)6月のことでした。「かなさわ道」という名を聞いたことすらはじめてのことで、市内の古道を歩くのも最初のことでした。この歩く会に参加したこと、わたしにとってはたいへん有意義なことでした。参加したことで、わたしは、すっかりいにしえの道・古道にすっかりのめり込みました。上大岡から保土ヶ谷まで歩いたと言っても、途中で、「かなさわ道」から離れたところもありますし、同じ会が主催した「浦賀道から金沢道コース1(金沢八景―上大岡)」へ参加しなかったため、その間の道はまったく知らないのです。わたしは1人で「かなさわ道」の全道を踏破することを決めました。とは言え古道ばかりは、標識などあまりなく、地図を頼りすることのできないことは、歩こう会の経験からよくわかっていましたので、わたしは自らの足で実地に探訪することにしました。幸いなことに、拙宅に近いところを走るバス路線の中で、「かなさわ道」とおぼしき道と並行しているバスをうまく利用できたこと、それと、道中で道を遮る鎌倉からつづく稜線伝いの山道、そして山中に遺る古くからの景勝地・能見台へは京急金沢文庫駅からすぐに直登できたことで、大いに助かりました。それでも、いにしえの道をはっきりと特定することはむずかしく、何度も足を運び、ここが正解だと思われるルートを把握できたときには、その年もすでに晩秋になっていました。しかし、「かなさわ道」のルートをしっかりと把握でき、その後、鎌倉道下道の道筋を知るようになりましたので、二つの主要な道の相互関係が明白に頭の中で描けるようになりました。

かなざわ道岩井に残る北向き地蔵

鎌倉から北へ進み保土ヶ谷へ至る道は何本かあるようですが、主要なのは鎌倉下道と、「かなさわ道」の二つです。わたしは、すでに述べたように、鎌倉から金沢の海岸線へ出る道・六浦道は律令下の官道(古代東海道)をなぞっていると考えております。また房総に渡る港として金沢は格好の条件をそなえていますから、浦賀―金沢間の浦賀道は古くからつながっており、そのまま海岸線をさけて能見台から北へ向かう道もすでにあったのではないか、と考えても不思議ではないでしょう。じつは、文献上で能見台の名が確認できるのは室町までさかのぼるそうですが、伝聞上では平安期に能見台を通った画人のいたことが伝えられており、あるていどの蓋然性は十分あるのではないでしょうか。ちなみに、冒頭の鎌倉街道図では、金沢から能見台経由で北へ向かう「かなさわ道」は関(現在の上大岡の手前)で大倉辻から進んできた間道と合流し、さらに保土ヶ谷の岩井で鎌倉下道に合流しています。実際に「かなさわ道」を歩いてみますと、井土ヶ谷台へ上がり北向き観音まで来ますと、岩井で「ぐみょうじ(碑にはぐめうじと表記)道」とぶつかります。すなわち、「かなさわ道」は鎌倉下道のつなぎとして重要な道であり、むしろこちらの方は鎌倉期以前から存在していたわけですから、こちらを下道だと称してもいいのかもしれません。(以下次号へつづく)
(注記)鎌倉街道図は八聖殿郷土資料館主催の歴史講座?同歴史散歩にて配布されたものの引用です。

    

(2019年05月)

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