『吉阪隆正集』全17巻

わたしの親しい友人に、蝶の収集家として知られている人がいます。あるとき、彼がこんなことを言っていました。「わかいころから集めてきた蝶の標本箱が40箱ほどあり、このままだと残された家族にとってとんだお荷物になってしまう。標本の中には、ネパール、東南アジア、アラビアなどで採った貴重な蝶もあり、標本一つ一つに、採った土地の情景や思い出が詰み込まれており、自分にとっては手放しがたい大切なものである。博物館か研究機関で預かってもらえないかあちこちに声をかけた結果、東京農業大学の進化生物研究所の研究員が名乗りを上げてくれた。いざ手放すとなったら決心がゆらいだが、このチャンスを逃したらということで、2回に分けて車で収めてきた」、というのです。この話を聞いたとき、よく手放す気になったものと、その心中を察して同情の念を禁じえなかった反面、彼の貴重な標本が研究者の手に委ねられることが、せめてもの救いだったのだろう、と思ったものでした。彼の身辺整理は、山岳書籍、蝶の図鑑・文献、そして厖大な写真類等々、まだまだ続くようで、彼曰く「70歳で始め、80歳できれいに整理を終わらせる」のだそうです。いよいよ「終(しま)いの準備」をはじめたな、の思いでした。
彼の標本整理と比較すれば、わたしの場合は、家族のお荷物になりそうなものは自分自身の存在と本以外にはありませんから、「終いの準備」といっても気楽なものです。その上、本といっても、稀覯(きこう)本といえるような貴重な書籍は2,3あるかないかですから、たいしたことはありません。それでも、蔵書の中で『吉阪隆正集』(勁草書房刊 全17巻)だけは、どこか建築系の学科のある大学、あるいは研究所、要するにその本を有意義に利用してくれるような機関(むろん個人でも)が引き取ってくれないだろうか、と真剣に考えたものでした。とは申しても、正直なところ、その本一冊一冊に思いがこもっていて、手放すには惜しいというわけではないのです。このように書いてしまいますと、吉阪先生の著書を冒涜しているかのような誤解を招くかも知れませんが、じつはその正反対で、むしろこのままでは先生に申し訳ないという思いから、自分の代わりに「吉阪学」をその著作から学び取ってほしいとつよく念じているのです。
吉阪隆正(故人)という建築家は、一般の方にとっては、亡くなった丹下健三や黒川紀章、あるいは現役でいえば菊竹清訓や安藤忠雄ほどは知られていないでしょう。何といっても作品の数が少ないですし、著名な建物の設計もありません。しかし、国際的な活動をした建築家(作品を残したという意味ではなく)という点では、先生の右に出る建築家はいないでしょうし、寡作だった代わりに厖大な著作を残し、また教育者としても偉大であり、さらにもう1点付け加えるなら、登山家としても著名であった点で、他に類を見ない稀有な建築家でした。国際性という点では、外交官だったお父上の関係で、幼少期に2度にわたってジュネーブに住まわれ、小学校高学年から中学はジュネーブで教育を受け、イギリスにも留学のご経験があるということで、語学に堪能であり、欧州の生活慣習にも精通して、国際人としての素養が自然に身についていたのです。また、戦後第1回のフランス国費留学生としてフランスに渡っており、著名な世界的建築家ル・コルビジェの弟子として「コル」、「タカ」と呼び合うほどの親しい関係でもあったのです。興味深いことに、欧州の影響を色濃く受けて育った先生が、じつはその性格は豪放磊落な面があり、フィールドワークのために、戦前・戦後を通じて満州・蒙古、南北アメリカなどで原住民の生活の中に飛び込んでいかれた点です。そこに、建築家としての切り口のみならず、農村をも含めた都市・地域のプランナー、登山家・探検家としての面、文化人類学者として面などなど、吉坂隆正の人間像をとらえるには、余りにも人物が大きすぎて、凡人のわたしなどには捉えようがないのです。このことは、先生の著作にも、顕著に表れています。

先生の全17巻にも及ぶ著作集は、刊行会の説明によれば、「吉阪の残した数々の造形、無数のスケッチ、6ヵ国500万字に及ぶ文章を、4群に分類して刊行し世に問いたい」として、大きく4群にまとめられています。その4群とは、以下のようなものです;
生活論(人間と住居)第1巻〜4巻 建築家としての先生の住居論
造形論(環境と造形)第5巻〜9巻 先生の造形論で、『世界の建築』、『ル・コルビジェと私』などが含まれています
集住論(集住とすがた)第10巻〜13巻 地域開発論で『不連続統 一体を』、『有形学へ』といった先生独自の開発論です
遊行論(行動と思索)第14巻〜17巻 登山家、文化人類学者、教育者としての先生の多様な面が表されています
このように書き出してみますと、先生の活動がいかに広範囲にわたっていたかがご理解いただけると思います。これだけ幅広い内容の著作を、建築家としてはまったくの落第生であるわたしには、たとえ読んだとしても理解のしようがなく、恥ずかしいことにほとんど目を通すことなく、大半の巻は手に取ってみても、現在でもなお入手したときそのままの白さを保っています。そんなわたしが、なぜ先生の全17巻にも及ぶ膨大な著作集を購入するなどという大それたことをしたのでしょうか。じつは、いまでも答に窮します。一つには、先生の著作集が出版された10年ほど前に、同じ教室の今和次郎先生(東京美校卒でスケッチには定評があり、民家や服装の研究で著名、考現学の提唱者)の全9巻の著作集が出版されていたのですが、躊躇して購入しそこなったことが悔やまれ、吉阪先生の著作集こそは是非にという単純な理由からでした。当時、南米、サウジアラビアでの長期滞在の後で、経済的に余裕のあった時期でしたから、躊躇なく予約できたのでしょう。わたしの在学中は、海外のコンペへの応募、アラスカ・マッキンレー登山隊長などで、先生がもっともお忙しい時期でした。つたない記憶では、学内でお姿を見たのは数度ほどで、うち1度は「集合住宅設計」の課題で配置図に取り組んでいたわたしの図面をご覧になって、「ずいぶん直線的だねぇ、住宅公団の計画みたいだな」と声をかけられたときでした。要するに、先生の謦咳(けいがい)に接する機会など、ほとんどなかったのです。その代わりに著作を通して先生に接しよう、という軽い気持ちがもう一つの購入理由だったと思います。

業務からはなれた現在、時間には余裕ができたわけで、先生の著作を読みはじめる絶好の機会がきたはずです。しかし、時間に余裕ができたとはいえ、終日読書にふけるわけではなく、それに最近のわたしの読書法といえば、本棚の下にしつらえたベッドで音楽を聞きつつ、床頭に用意した何冊かの本をその夜の気分に応じて読みますので、とても先生の高尚な本を読む環境ではないのです。このままでは「吉阪学」に接するどころか、結局はこのまま家族のお荷物に終わらせてしまうことでしょう。それでは先生に申し訳ありません。著作集を前にしてわたしは考え込み、達した結論は、どこかに寄贈して有意な学徒に利用してもらおう、ということでした。ではだれに、それはやはり建築学科のある大学の図書館、あるいは研究室、しかも運搬のことも考慮して、地元の大学である、関東学院大学に目を付けました。同学にしたのは、かつて何人かの先生を存じ上げており、とくに学友入江善久君(建築構造学・同学名誉教授 故人)が生前「古武士」と称され、学内の多くの人から慕われていたということで、同君に奉げる意味で寄贈することがもっともふさわしいと思ったからです。たまたま名刺を持っていた小林謙二先生(建築施工学・同学教授)に連絡したところ、幸いなことに建築学科図書室に収めてくれるとのことで、喜んでおります。ちなみに、小林先生は入江君の後輩であり、わたしの畏友木島安史君(元熊本大学教授 熊本・球泉洞森林館設計で建築学会賞受賞 故人)の製図のお手伝いをされたことがあるそうです。刊行からすでに20年以上も経つ書籍ですが、本の見てくれも、そして内容そのものもまだ真新しい感じで、これからは多くの学徒の手垢で汚れるくらいに利用してもらい、いまだ脈々と息づく「吉阪学」を学び取っていただければと念じています。

(注記1)吉阪隆正先生略歴
1917年 東京小石川竹早町生まれ
1933年
ジュネーブ・エコール・アンテルナショナル卒業
1941年 早稲田大学理工学部建築学科卒業 翌年応召
1950年〜52年
戦後第1回フランス政府給費留学生としてピアニスト田中希代子、フランス文学者 哲学者 森有正、美術史家秋山光和(学士院賞受賞)などと渡仏、一緒に派遣された6名とはb 生涯親しく交際
1959年〜
早稲田大学教授 アルゼンチン・ツクマン大学シドニー大学、ハーバード大学などで教鞭を取る
1980年
63歳で逝去 日本建築学会会長、生活学会会長、日本山岳会理事、早稲田大学理工学部長など歴任。赤道アフリカ横断・キリマンジェロ登頂、早大アラスカ・マッキンレー遠征隊隊長などを務めた

主な作品:
自邸、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館、ヴィラ・クゥクゥ、日仏会館、アテネ・フランセ(日本建築学会賞)、八王子・大学セミナー・ハウスなど

(注記2)
先生の遺稿として1982年に『乾燥ナメクジ[生ひ立ちの記]』(相模書房刊)が出版されています。すごく読みやすい本でお勧めです。この本をかつて在アルジェリアの萩原裕章氏(多摩美大卒、1961年度の給費留学生として渡仏)に贈ったところ、一時期吉阪研究室におられた氏は、涙をこぼさんばかりに感激してくれました。

(注記3)
吉阪・今両先生の写真が稲門建築会の雑誌載っていましたので、拝借しました。前列中央が今先生、右端が吉阪先生です。

(2011年 5月)

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