食のたのしみ(1)

アラビア・レストラン

わたしがよくメールを交換する知人の一人に、趣味が多彩かつ、たいへん豊な人がいます。あるとき、その人からのメールで、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」にちなんで、自分が人生最後に食べたいものは、ということで数多くの食べ物の名をあげ、「おまえの最後に食べたいものは何か?」、と問われたことがありました。以前書いたことがあるように(2010年7月号 『下戸ならぬこそ男はよけれ』)、わたしはアルコールがだめですから、その分、食べることは大好きです。とはいっても、美味しいものには目がないというほどの食通ではなく、また味覚も特段優れているわけでもないので、「最後に何を食べたいか」と聞かれても、とっさに思いつく食べ物はありませんでした。いま思い出しますと、四国・今治で食べた来島(くるしま)海峡の鯛の石焼き(法楽焼?)、山口・宇部の「白萩」で食したフグ料理などは、もう一度食べてみたいと思っています。それと、南米へ往くときにはじめて乗ったエア・フランスの機内食でキャビアが出たとき、「これが世界三大美味の一つ、かのキャビアか」、と裕福な気分になったものでした。
わたしは、他人に自慢するほど長く外国生活をしたわけではありません。ただ、南米エクアドルにはじまり、中東のサウジアラビア、そして北アフリカのアルジェリア、最後は中央アジア・ウズベキスタンと、仕事の関係で広域にわたって長期滞在する機会にめぐまれましたので、必然的に世界各地の料理を楽しむことができました。と書きますと、いかにも世界のあちらこちらで、その土地の料理を楽しんだかのようですが、じつは本音をはけば、前述したように食通ではなく、また食通となるべき必須条件ともいえる丈夫な胃腸にめぐまれませんでしたので、食を楽しんできたとはとても言えないのです。そんなわけで、わたしが「食のたのしみ」というようなタイトルで文章を書くなど恥ずかしいのですが、料理についてのウンチクをかたむけるとか、もったいぶって書くということではなく、いままでに見聞し、食したもののうち、日本人には比較的知られていない料理についてご紹介する、という姿勢で2回にわたって記すことにいたします。
・南米エクアドルのセビチェ
メキシコ料理のタコスのように日本人にもよく知られている料理もありますが、総じて中・南米にはご紹介できるような料理は少ないようです。その中で、ぜひご紹介したいのが、セビチェです。イタリアのマリネにちかい料理(といえるかどうか?)で、ちょっと特殊な食べ物のため説明しにくいのですが、酢に油や香辛料を加えた汁にみじん切りした玉ねぎやトマトといった野菜と一緒に骨を取った白身の魚、貝類、牡蠣(かき)を漬けたものです。インターネットを見ましたら、メキシコやペルーの料理だと紹介していましたが、本場がどこであるのかは知りませんが、一番おいしく、いかにもセビチェらしいのは魚より貝類を主として使うエクアドルのものでしょう。メキシコのものはドライすぎて、酢のきいたセビチェの風味がありません。わたしに言わせれば、べつの料理に思えます。コロンビアでは見かけませんでした。南米諸国の中で、宗主国スぺインを継いでいるのは自分たち(初等教育でもっとも正統なスペイン語を教えている、と聞きました)だと思っているコロンビア人にしてみれば、セビチェなど隣国エクアドルの田舎っぺたちの食べ物だ、ぐらいに思っているのかもしれません。ペルーのセビチェはエクアドルのものにやや近いのですが、やはり、セビチェを食した後の、「ふうっ!食うた、食うた」、とため息がでるような食感がありません。キトからグアヤキル経由でリマへ向かう機中でリマに在住の日系の弁護士と一緒になったことがあります。かれ曰く、「仕事でキトへ来たが、エクアドルへ来る楽しみはここのセビチェを食べられることだ」、と言ってました。地元のペルー人が認めているのですから、軍配はエクアドルが一番ということになるのだと思います。わたしはそう思っています。

セビチェ

エクアドルの首都キト、もう古い話で、いまは変わっているでしょうが、わたしが滞在していたころは首都らしい華やかさのない静かな落ち着いた雰囲気の街でした。住宅街などを散歩していると、しもた屋風の小さなレストランによくぶつかります。一見、ふつうの住宅かと見まがうこともありますが、入ってみると、なかなかおいしいものを食べさせてくれます。そんなレストランでも、わたしたちのお目当てはセビチェでした。山中の街ですが、港町グアヤキルから新鮮な魚介類が毎日運ばれており、2回に1回ぐらいは牡蠣も入荷しておりました。そんなときは、まず牡蠣のセビチェを食し、せっかくだからと他の貝のセビチェもハシゴしたものでした。キトは海抜2800メートルの高地で気温が低かったので、生ものでも下痢することはあまりなかったのですが、それでも、旧市街地の街頭などでは危なくて口にすることはできませんでした。第一、調理しているところをみれば、それだけで食べたいという意欲は失せてしまったものでした。現場のあったエスメラルダスは、逆に海抜数メートルの海岸地帯でしたから、用心してできるだけ食べないようには心がけましたが、どうしても誘惑にまけ、口にしてしまうことも多々ありました。そんな場合、いやというほどレモンを絞って食すのですが、わたしの場合、まず50%の確率で翌日はトイレ通いということになりました。ところで、セビチェってどんな味?と聞かれますと、答えに窮してしまうのですが、日本でも、牡蠣といえば、一番食欲をそそるのはレモンをたっぷりとかけて食べる生の牡蠣ではないでしょうか。その生牡蠣(あるいは貝類)と酢に漬かった玉ねぎ類との絶妙な味の組合せ、とでもいうのでしょうか、なにしろ「後に引く」食べ物なのです。

・アラビア料理
わたしがサウジアラビアで滞在していたのは西海岸のジェッダ。聖地メッカへの入り口にあたるところに位置し、古くから紅海の花嫁と称されていた同国随一の大都市でした。当時は外務省がここに置かれていましたので(現在は内陸部の、首都リヤドに移っている)外国人も多く、同国商業の中心地でもあった関係で、市内にはレストランの数は多く、各国の料理を賞味することができました。地場の料理といえばアラビア料理ですが、これはレバノン料理といってもよく、かつては中東のパリと称されていたベイルートが内戦によって荒廃し、多くのレバノン人がサウジに流れてきた影響で、とうぜんシェフの数も多かったのでしょう。 「千夜一夜」、「アラビアンナイト」、「シェラザード」といった名の通ったレストランをはじめ、多くのアラビア・レストランが市内の至るところに点在していました。世界の二大料理ともいうべきフランス、中国料理の店もホテル内にしょうしゃな店を構える一方、中国料理店は街中にも大きな店を構えていました。その他、木造のシックな構えのイタリアン・レストラン「キャスティリヨ」、スイス料理、米国風ステーキ店、インドネシア、韓国、そして、品数がすくなく、味もいまいちの日本料理を味合えた「御園」など、砂漠の国とはいえ、当時のジェッダでは多種多様の料理を食することができたのです。

さて、アラビア(レバノン)料理のことです。専門家ではないわたしには、よくは分からないことですが、フランス、中国とともに世界三大料理と並び称されているトルコ料理の影響を多分に受けているようです。トルコ料理といえばトルコ民族の伝統的な料理ということになりますが、往時オスマン帝国として中東から地中海周辺まで広大な領土を支配した大国でしたから、領有した地域の料理と互いに影響し合いつつ、独立した影響力を持ったものと考えられます。後述することになると思いますが、北アフリカや中央アジアなどの料理もトルコ料理の系統のように思えます。その特徴は、メインディシュとしては羊の肉が主で、日本で食するオーストラリア産の肉とは異なり、くせがなく、やわらかでおいしい肉です。鶏肉も多少は目にすることがありますが、ご存じのように、モスレムはコーランの教えで豚肉を食しませんし、乾燥地帯で牛の飼育に適さない関係で、牛肉も見当たりません。穀類は米・小麦が用いられ、料理の素材としてナツメヤシの実やココナッツもよく使われ、果物・新鮮な野菜も豊富です。意外に思われるかもしれませんが、サウジアラビアの東海岸は豊富な伏流水を利用しての農園が発達しており、野菜などは輸出しているほどなのです。

アラビア料理の主餐はジェッダなどではクーズィと呼ばれる子羊の丸焼き(写真1参照)で、トマトと一緒にいためたライスと同じ皿に盛られ、ふつうテーブルの中央に置かれます。同じ羊の肉でも、これを小さく切ってライスと盛り合わせた料理をカプサといい、レストランでも家庭でも、もっともポピュラーな料理だといえます。よく最大のご馳走は羊の脳ミソだという人がいますが、けっして珍味だとはいえず、かなりゲテもの好みの人以外には敬遠されがちです。日本でもおなじみのシシカバブ、レバノンが源である卵型の肉だんご、ケッパ(写真2中央)、四角形の肉まんじゅうともいうべきサンボサなど、すべて羊の肉を用いています。総じて日本人の舌にも合いますが、肉の大きさ、盛り付けなど量が大きく、かつ全般的にこってりとした感じのものが多いのが難点と申せます。その点を調和させる目的からか、生野菜をふんだんに添え、果実や木の実がいろいろな形で用いられています。

いうまでもなく、サウジアラビアの気候は一部を除いて高温で乾燥した砂漠気候ですが、その中でもジェッダは紅海の沿岸地帯にあるため、夏季は高温に加え高湿度にもなるため、生活しにくい面があります。しかし、11月から3月にかけての夜はおどろくほど快適な気候となり、開放的な造りになっているアラビア料理店で、さわやかな海風を頬に受けながら食するアラビア料理をこよなく愛したものでした。とくにアルコールに不調法なわたしにとって、アルコールの禁じられたかの国にあって、このときばかりは、まさに至福の時だったといってもよいでしょう。あるとき、アラビア滞在の長い、いわゆるアラビストの知人との会話で料理の話しがでたとき、「アラビア料理も世界で有数な料理といってもよいのでは」と口にした際、その知人に「とんでもないことを言うやつだな」、というような顔をされ、シュンとしたことがありました。しかし後になって、作家で、料理研究家でもあるマルチタレントの玉村豊男氏が、某誌上での高原須美子さん(海部内閣の経済企画庁長官 故人)との対談で、こんなことを話しているのを読みました。出典の雑誌が見つかりませんので表現は正しくはないと思いますが、要は、世界に名だたる料理として、フランス料理、中華料理などとともに、アラビア料理も料理体系がはっきりしている点で、代表的な料理として名を挙げてもよいのではないか、というような発言でした。むろん、わたしは日本料理のフアンであり、日本料理は海外でも好事家がおり、それなりの評価はあるのでしょうが、結局は、日本というローカルな範囲での料理だと思います。それに対して、アラビア料理(レバノン料理)は、世界中で広範にわたって食されている、いわば世界的な料理だといえるのでしょう。その点を評価したわたしの舌も、そう馬鹿にしたものではないな、と自己満足しております。

(注記)セビチェの写真はインターネットのものを引用しました。
 たぶんメキシコのセビチェだと思います。アラビア料理については、市中での写真は撮り難いため、家庭内での写真 で代行しました。

(2012年4月)

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