チェロの音色

バラク・オバマの大統領就任式典で、会場のスピーカーで流れたヨ‐・ヨ‐・マの演奏が事前に録音されたものだったということで物議をかもしましたが、ここではそのことについて書こうということではありません。彼は2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックの選手宣誓の際も演奏しましたし、日本でも、いつだったか失念しましたが、たしか皇室の式典でも演奏しています。もしかしたら、この種の式典で演奏するにはチェロが最もふさわしいという何か理由(わけ)があるのでしょうか。彼は、まさに現代世界を代表する演奏家の一人だし、すばらしい音楽家で、わたしの最も好きな演奏家だといえますが、しかし単なる好みだけで選ばれたのではないのでしょう。ここでまた、わたしは、ヨ‐・ヨ‐・マのことを書くつもりはありません。じつはチェロという楽器について書きたいのです。わたしがチェロという楽器、とくにその音色に興味をもつようになったのには、ちょっとした理由があります。このウエブサイトのプロフィール、そして2008年12月の最新情報に書きましたが、わたしは1998年3月初めから翌年12月初めまでの21ヶ月の間に、アルジェリアでの仕事の関係で、都合4回、延べにして7ヶ月アルジェに滞在しました。その折に、すっかりチェロの音色にとりつかれたのです。

当時のアルジェリアでは、まだイスラム原理主義者によるテロの嵐が吹き荒れていた頃で、とくに1998年の夏ごろまでは、テロ最盛期の末期にあたった時で、最初の3回の滞在は大使館内の宿泊施設、大使館の修復工事期間だった最後の4ヶ月は、大使館が借家・借地していた大家のベンガナ氏の邸宅を借り切って住んでいました。ちょっとした植物園ほどの広大な敷地内(在外公館としては、何本かの指に数えられる大きさと聞いています)とはいえ、閉鎖された空間内での生活を強いられれば、いきおいストレスはたまってきます。とくに最初の訪問時は、ほとんど毎晩のように、アルジェ市内でテロの爆破音、銃声の音が、絶えることなく聞こえ、正直なところいい気持ちのするわけがなく、内心びくびくしていました。大使館は3.5メートルほどの高さのコンクリートの塀に囲まれていたので、普通なら外からの進入は難しいのでしょうが、テロ集団のことですから、いざとなれば、簡単に乗り越えるでしょうし、塀を破壊することも可能でしょう。何人かの警官・大使館の警備官もおり、宿舎の入口と、1階から2階へ上がったところにも鉄格子のついた扉がありましたが、本当に攻められれば、どうにも防ぐことはできなかったのだと思います。そうなればなるで、人間、結構度胸がつくもので、わたし自身、「どうにかなるものさ」という運命論者な気持ちになり、その後のいろいろな事例で、この考え方は役にたっています。

とはいっても、寝ていても気持ちの昂ぶることはしばしばで、ときには恐怖心に苛まれることもありました。そのようなとき、 わたしは一つのことに気付きました。それは、チェロの演奏を聴くことが、自分にとって何よりの癒しになるのだ、ということの発見でした。不安で寝つかれぬときでも、チェロの音色を聴いているうちに、いつの間にかすやすやと寝入ってしまうのです。これがオペラのアリアやヴァイオリンの音色だと、かえって気持ちが昂ぶってしまいます。そうしたきっかけから、わたしはその次の出張時にはチェロの曲をできるだけ買い求めてアルジェリアへ持ち込みました。もちろん大好きなヨ‐・ヨ‐・マのものが多かったのですが、パブロ・カザルス、ジャクリーヌ・デュ・プレ、あるいはチェリストとして名前だけは知っていたアントニオ・ヤニグロ、ヤーノシュ・シュタルケルといった巨匠、そのほかでは、まだ名前は知りませんでしたがマリア・クリーゲル、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチなどのCDを持ち込んで聴ききました。アルジェリアからもどっても、その傾向は同じで、最近ではスティーヴン・イッサーリスも楽しんでいます。彼らの演奏を聴いていて感じるのは、優れた作曲家のいい曲に惹かれるのはむろんのことですが、わたしの場合、単に曲の良し悪しではなく、チェロの音色の方により惹かれるのです。音楽に関しては、楽譜の「ガ」の字も読めない門外漢のわたしのことですから、演奏の微妙なテクニックなど分かりようはずもなく、ただ音色に魅かれているだけといってもよいでしょう。しかしそれだけで心が和やかになり、癒しを感じるのです。それにはそれなりの、何か理由(わけ)があるに違いない。

帰国したわたしは、長年の畏友河口道朗さんに電話してみました。 河口さんは、日本ではまだ数少ない学際博士の肩書きを有する音楽教育史の泰斗です。東京学芸大学で長らく教授をなされ、その後も私立大学などで教えていらっしゃる。わたしの訳の分からぬ質問を黙って聞いてくださり、答になるかどうかはわからないが、という前置きで、「弦楽四重奏を例えに、チェロの音色は他の弦と比較して均質な音色で、腹に響いて、心の支えになる音色なのではないでしょうか。人間の声なら、もっとも低 い安定した声だと思います。ヴァイオリンの高い音、チェロの低い音、それを取り持つヴィオラの調和の取れた音で、弦楽四重奏はハーモニーがとれているのです。チェロの音色が心を和ませ、癒すというのはそんなところではないでしょうか」。聞いていたわたしは「う〜ん」とうなった。さすが、河口さんはちがう。もっとも、上記の説明は、電話口での先生の話しをわたしなりに咀嚼して、その上での勝手な解釈なので、もし実はそこは違うよ、ということなら謝らなければなりませんが、優しい河口さんのこと、「まあ、そんなところでいいのでは」と大目に見て下さるでしょう。

しばらくして、わたしの愚問を覚えていて下さった河口さんから、1冊の雑誌『音楽教育史』第7号が送られてきました。その中に載っている、ご自分の訳されたE.シュプランガーの「家庭音楽を語る」という記事が役に立つかも知れない、と教えて下さいました。それによると、「個々の楽器の魂をあえてことばで表現することは、詩人になら許される」として、弦楽四重奏の四つの担い手について、オーストリアのヨーゼフ・ヴァインへーバーという詩人がこう詠っているのです。長くなりますので、孫引きはご容赦願いますが、要するに、第一ヴァイオリンは「私は世界に私の美しさを贈ります」、第二ヴァイオリンは「姉さん、一緒にいさせて」、ヴィオラは「君たち二人がしっかりと結びついているように」、という気持ちのようです。そしてチェリストはどう詠ってたのか、そこだけはそのまま引用させていただきます。

私にはよくわかる。すべてが運命だと。
  美しく作られたものと救済されないもの。
  私は完全に誠実に。楽しめ、そして、悔い改めよ!
  私は警告しない。私はともに泣く。私は慰める。

要するに、第一ヴァイオリンは自由奔放に演奏できるけれど、第二ヴァイオリンだって、自我があり、第一ヴァイオリンの姉を支えているつもり。ヴィオラはその両者の間をうまく取りまとめてはいるが、本当はそれだけで終わってしまうことに悩んでいる。チェロは、そうした三者三様の個性をうまく取り持っていく役目、うまく慰める役なのです。必然的に人の心を和らげ、心を癒す音色になるのではないでしょうか。

こどもの頃に読んだ宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」というお話を読み返してみました。じつは、どんなお話しなのか、すっかり忘れていましたが、読み返してみて、びっくりしました。 ゴーシュは街の活動写真館の楽団員ですから、もともとたいした腕でないチェリストです。楽団の中でも一番下手で、ヴァイオリンが「二(ふた)いろの風」のように鳴っているのに、セロ(チェロ)だけがいつも音が遅れてしまうほどの下手くそなのです。 そのために、彼は懸命に家で練習をするわけですが、毎晩いろいろな小動物が出てきては何かといっては彼の練習を妨げます。ある晩「どうぞ先生のお力で子供の命を助けて」と懇願する母ねずみに、「俺は医者じゃない」と腹を立てたのですが、じつは、小動物たちは、病気になるとゴーシュの練習する部屋の床下へ入り込み病を治していた、というお話しです。三毛ねこのホーシュには、「どうも先生の音楽をきかないとねむられないんです(ママ)」とまで言わせています。おそらく賢治も、チェロの音色に心を和ませ、癒す力のあることを感じ取っていたのですね。わが意を得た思いでした。

(平成21年 4月)

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