石井正紀


	孤風院のこと孤風院外観（2012年秋撮影）物書きと称するほどの実績はありませんが、何冊かの小書を上梓している者としては、じぶんの本を手にした際、よろこびと感謝の念を込めて献本や贈呈をしてきています。そのお返しということもあって、わたしの書棚には100冊ていどのその種の本が並んでいます。すべてが著者の署名入りであり、有難いものばかりですが、なかでも、わたしが大切にしている書としては、大学時代からの畏友、木島安史君（故人　元熊本大学教授、文中これ以降は最大限の敬意の念を込めて木島と表現）から贈られた書、2冊です。1冊は『半過去の建築から』（鹿島出版会刊）で、もう1冊が『「孤風院」白書』(住まいの図書館出版局刊)です。贈られた日から判断して、前者は、わたしの処女出版『サウジアラビア　おもてうら』（ジェトロ刊）を贈った返礼、後者は光人社から出した単行本『石油人たちの太平洋戦争』を贈呈したことに対してだったと思います。『「孤風院」白書』の奥付を見ますと、1991年4月1日第1刷、木島の署名日付は4月3日ですから、出版されてすぐに送ってくれたようで、彼の律義さをつよく感じております。その年の3月、わたしは初めて手にしたハードカバーの自分の本を手に、大げさに言えば天にも昇る気分で、有頂天でした。しかし、木島の本を手にしたとき、わたしはびっくりし、脳天をたたきのめされた思いでした。「とてつもないことをしでかす男だ！」、しばし唖然とし、一気にページを捲（め）くっていきました。じつは学生時代、木島との付き合いはほとんどありませんでした。たまに一緒になる授業でも、教室での席はふだん行動を共にしている友たちと連（つる）むことが多かったし、生年が同じだったにもかかわらず、木島には当時から大人の風格があって、気軽に話しかけるにはこちらがつい気おくれしたからです。彼は『第三次産業の集中と分散』という卒業論文で最優秀者に与えられる稲門建築会賞を受賞しましたが、タイトルからその内容のあらましを察することのできないような論文は、わたしのようなボンクラ学生の卒論とは、まるでレベルの異なる高次元な内容だったに違いありません。それよりも何よりも、授業中に何かにつけ「木島君は……」と口にする教授がいらっしゃったので、彼は学生の時から建築学教室内では注目されていたに違いありません。そんな彼の異才に、わたしなどは学生時代にはとても理解がおよばなかったのです。卒業後の進路も、並の者には見られない才気煥発なところがあり、国際性に富んだ経歴を積んでいました。まだ海外への渡航が難しかった時代でしたが、1962年に大学を卒業してすぐにスペイン政府給費留学生に選ばれたのです。そしてスペインに渡る途中で、都市計画が進行中だったインド・チャンディガールへ立ち寄り、設計の手伝いをするかたわら、世界的な建築家ル・コルビュジェに出会うという経験をしております。スぺインでは、これまた有名な構造・造形学者トロハの研究所で学び、いったん帰国して、1966年に大学院終了後、東大の丹下健三先生の所に一時籍を置きましたが、1967年にはエチオピア・ハイレセラシェ大学に招聘され、イスラム圏の建築にも接する機会を得ていたのです。その後、1970年に事務所を設立、1971年に熊本大学助教授として迎えられました。木島のすごさは、まだ少壮の助教授だったころ、熊本県立美術館の設計をめぐって、当時建築界の大御所だった前川国男氏（上野の文化会館設計で知られている）にたてついたことです。若くして欧州に渡り、ヨーロッパ、イスラムの建築をつぶさに見ていた彼ならではの論陣を堂々とはったのです。たまに会った時など、「学会を向こうに回していろいろつよい意見をはくので、ぼくは学会の嫌われ者なのだ。そんなときかばってくれるのが西君で、ずいぶん助けてもらった」、と話していたものですが、まさにソフトな感じの西和夫君（学友、神奈川大名誉教授　二人は前後して日本建築学会賞受賞）が場をまるく収めていたのでしょう。学会誌の編集、あるいは委員会席上などでの二人の様子が彷彿としてくる思いです。東京・熊本間をとんぼ返りのような状況で活躍していた君の様子については詳述を省きますが、そんな多忙の中でも、彼はひんぱんに海外へ飛んでいました。熊本へ行ってすぐに「熊本大学環地中海建築調査」、ついで中近東文化センターの「中近東遺跡発掘調査」などに参加していたようです。1984年の暮れに、エジプト・フスタート遺跡の発掘に従事していたむねの絵葉書を受けたことがありました。わたしが中東の業務に従事していた関係で、彼の紹介で横浜の職場に学生さんが訪ねて来たことがありましたが、そんなときでも、学生さんがもどった後すぐに電話をいただき、さらに礼を兼ねて遺跡の絵葉書をいただいたのです。ほんとうに律義な人でした。解体直前の講堂　さて、回り道をしましたが、ここからが孤風院の説明です。木島が熊本大学へ赴任したときには、熊本大工学部の前身だった熊本高等工業の講堂がまだ使われていたそうです。戦災にも遭わず残っていた明治末の木造建築で、彼に言わせれば立派な材料が使われていて、まだまだ十分使用できる状態だったようです。しかし、1974年（昭和49年）になって文部省は廃棄を決定したとのことで、木島自身は、なんとか残せないものか奔走したようです。しかし話はまとまらず、いよいよ取り壊しが始まる1975年の夏、彼は解体された材料を引き取り、その材料を使って自分の住宅兼アトリエとして海抜500メートルの阿蘇のカルデラに復元したのです。それが孤風院です。この名からは、ふだんは家族とはなれ、山中に一人で住む孤独な感じにふさわしい命名に思えますが、じつはこの名は、外観が棺桶に似ているので英語の棺桶（coffin）の音から採った当て字だと彼は説明しています。さらに、コフィンの音はフランス語風に読めば玉手箱の意だとかで、さすが彼らしいうまい命名です。住宅に変えるにあたって元の講堂のままでは大き過ぎるので、8スパンを5スパンの正方形に縮めたようですが、それでも床面積は約220㎡、階高は場所によっては8ｍにもなり、外観はほぼ元のままという豪快な住宅です。何しろ学校の講堂を住宅に変容させたのですから、送られた本を読んでそのことを知ったわたしがびっくりしたこと、ご理解いただけることと思います。木島がそうした大胆かつ豪気なことを思い立った背景としては、世間一般で、せっかく戦災をまぬがれた明治、大正期の建物がいとも簡単に取り壊され、新しい建物に変えられていく風潮の中で、一方でそれに反対する保存運動もさかんに起ってはいたものの、それが単なるイメージ的な保存にとどまっていたことへの、まさに彼一流のアンチテーゼから行動を起こしたのだと思います。彼は白書の中でこう書いています。「建築はほんらい、人を守るためにつくられる。しかしこの場合は人が建物を守らねばならない。その結果、(中略)建物も変わらざるをえないし、人もまた変わった生き方をすることとなった。人も建物も個性的にならざるをえなかった。それが孤風院である」と。彼は、白書に工事の見積から記録、写真などをつぶさに記載しています。それによると工事は、1975年8月の解体から1990年の屋根の葺き替えの完成まで15年もかけています。その間、資金難のためボーナスが入るごとに手を加えていったようです。業者は何社か従事したことになっていますが、実際は木島工務店がコンストラクション・マネジメントを務めたと言えそうです。ときには学生と一緒になって自らもペンキ工事などに携わっていたようです。そして驚くことに、彼は着工の翌年、1976年（昭和51年）からそこに住民票を移し、未完成の状態の中で現実に住みはじめたそうです。まさに、建物は講堂から住宅に変わり、住む人も生き方をまったく変えた実験的な生活を試みたといえるでしょう。 2階（書斎・和室を新設）への階段 1991年（平成3年）、木島は20年間滞在した熊本を離れ千葉大学に移籍しました。東京に活動の場を集中し、新たな飛躍を図ろうとしたのでしょう。後になってそのことを耳にしたわたしは、翌年になってから、神戸での病院建設でお世話になった千葉大の伊藤誠教授(故人病院計画の権威)にお会いした際、彼の大学での様子を聞いてみました。先生のお話では、建築界の第一線で活躍中の木島教授の赴任は学内でも期待をもって迎えられたが、あいにく体調をくずされたようで案じている、とのことでした。まさか、と思っていましたが、4月になって逝去の報に接しました。病のことを聞いていなかった多くの友や知人にとっては、まさに忽然と消えた思いだったでしょう。告別式の日は、低気圧の接近で東京はたいへんな強雨でした。とくに出棺時は激しく、びしょびしょの状況でした。参列した人たちの悲しみの雨だったのか、それとも思い半ばだった故人の悔し涙だったのでしょうか。友の一人は「木島は生き急いだな」と言っていましたが、たしかに50台半ばにして、並の人間にはなし得ない、あるいは何人分かの仕事を一人で成し遂げてしまったのですから……。研究室の学生の一人が「木島先生はいつも10ぐらいの仕事をかかえていらした」と語っていましたが、彼は設計・研究・講義・学会その他もろもろの仕事をかかえ、しかも20年間、東京と熊本という決して近くない二つの都市に活動の場を持ち、その間を往復していたわけですから、知らず知らずのうちに体が蝕まれていたのかも知れません。 1階中央広間（周囲は回廊）木島の没後、熊本で「木島先生を偲ぶ会」、東京で「木島安史君を偲ぶ会」が開かれました。さらに彼の意志を継承する組織として「孤風院の会」が発足し、各種見学会や孤風院でのオープンハウスやゼミナールなどが催され、1994年には作品集『堂夢の時感・木島安史の世界』が出版されました。この辺りのことまでは、その本からだいたいの様子は知り得るのですが、彼が亡くなってからすでに20年、主なき孤風院がその後どうなっているのか、学友たちに聞いてもその消息ははっきりしませんでした。昨年11月の半ば、わたしは意を決して、古い名簿を頼りに東京・文京区にお住いの奥さまにお電話し、さらに亡き父上と同じ建築の道に進まれている千嘉さんとコンタクトを取りました。わたしが自分のウェブサイトに孤風院に関する小文を書きたい旨をお伝えし、ついてはそのことと写真掲載のご了承、そして現在の孤風院の様子などを教えていただきたいと申し入れました。奥さま、千嘉さんともに快くお許し下さり、あまつさえ千嘉さんは、メールでいろいろな資料を送ってくださいました。書斎での在りし日の木島君孤風院は阿蘇のきびしい自然環境にさらされています。ましてや主を失い住む人のいない建物ですから、手を加えなければすぐに傷んでしまうでしょう。「孤風院の会」は、木島のロマンが凝縮されている孤風院を維持・補修するために、発足以来ずうっと活動をつづけているようです。92年の発足当時は、木島と活動を共にし、あるいは支えていた方々が会員の中心メンバーだったようですが、2000年代になると会の中心は当然のように熊本在住の方が主となり、世代的にも彼の後輩や教え子たちへと、若返っているようです。「孤風院を使いつづけ、メンテナンスをつづけることが保存につながる」、ということで孤風院を会場にしてのワークショップとかオープンハウスといった形態で毎年のようにイベントを催し、その機会に建物内に風を通し、傷んだところに手を加えるなどをしているようです。2007年のオープンハウスの際は、千嘉さんも参加されて座談会を催し、建築家木島安史のこと、孤風院建設当時の思い出、維持管理のことなど、夜を徹していろいろなことを語り合ったとのことです。その中のテーマの一つとして、建築教育にも熱心だった木島の思いを活かす意味で、学生さんたちの実習の場として有効に活用することが挙げられたようです。その結果、必要なら本職の職人さんを講師にして実習をするとか、机上の模型ではなくモック・アップ（mock up 実物大の模型のこと）に近いものの製作もさせる、あるいは建材などの実験・観察の場などとして利用しているようです。そうすることで、学生間のあるいは社会との交流の場にもなるのではないかということで、地元大学の学生さんが積極的に活用しているそうです。「孤風院の会」の活動は、まさに、木島安史の「建築というのはずうっと存在しつづけることに意義がある」という考え方をしっかりと踏襲しているのだと思います。それに加えてわたしは、木島の考えの中にあった「存在しつづけるためにつくり続ける」ということもつよく意識されているのではないか、と思っています。若いころからスペインの建築をじっくりと見てきた木島の頭の中には、学生時代、今井先生（今井兼次教授　2009年12月号、2010年2月号参照）がよく口にされていたガウディの建築、とくに19世紀に着工され、今なお建設がつづくサグラダ・ファミリアが色濃く残っていたのではないでしょうか。建築家には自分が設計した建物を後世に残すという楽しみがあります。建築家でもないわたしが言うのは口幅ったいかもしれませんが、後世に残すことは楽しみというより、むしろ使命ではないかと考えております。しかし、後世どころか、自分の存命中に自身の作品の命を平然と絶つ事例が少なからずあるのも事実です。今さら本人に確認のしようもありませんが、すくなくても木島にとっては、そのようなことは許し難かったのではないか、わたしはそのように考えております。彼の遺した数多（あまた）の作品以上に、彼のこの思いがつよく込められていると思われる孤風院、維持管理することはたいへんなことでしょうが、「孤風院の会」の皆さま方の熱意で、いつまでも残していってほしいな、と願うこと切なるものがあります。（注1）掲載の写真は、カラーは木島千嘉さん撮影のもの、モノクロは『「孤風院」白書』からコピーしたものです。（注2）孤風院にご興味を持たれた方は、下記にリンクしてみてください。 http://forum.10plus1.jp/renovation/interview/001/001.html なお、「孤風院の会」についてはホームページを利用してください。孤風院の見学についても、その中で案内されています。（注3）木島安史の主な作品： 1980年　建築会館コンペ2等入選 1984年　球泉洞森林館　日本建築学会賞（1985年） 1990年　東稜高等学校　村野藤吾賞（1991年）（2013年1月）ホームに戻る前の月の履歴を読む次の月の履歴を読む