1/3読書論

夏の暑いのはあたりまえ、と言ってしまえばそれまでですが、加齢とともに夏の暑さには耐えられないものを感じるようになりました。何年か前、中央アジアのカラッとした気候の中で1週間ほど快適な生活をしてもどって来たとき、日本の夏のあまりの湿度の高さに辟易とし、そのときから、日本の夏には恐怖すら感じるようになってしまいました。恥をしのんで申せば、わたしの部屋にはエアコンがなく、古いタイプの扇風機が1台おいてあるだけです。この夏は例年と比較して熱中症が格段に多く、そのために亡くなられた方は高齢者に多いとか。TVなどでは、専門家のお話として、エアコンと扇風機などを上手に組み合わせて暑さ対策をしないと、室内でも熱中症になることもあると警告しています。そうはいっても、エアコンのない人はどうすればいいのでしょうか。室温が常時30℃になっている部屋の中で、わたしは苦慮する毎日でした。
このトピック欄に毎月雑文を書くようになってこの方、新たに執筆することなど思いもよらなかったのですが、この6月になって、ちょっとしたアイデアが浮かび、目下その構想と、資料集めに腐心し、何年振りかに図書館通いをするようになりました。原則として週末、そのほかに週1〜2日ほど、横浜市内・紅葉丘の県立図書館へ通っています。図書館通いをするようになって、思わぬことに気づきました。家のむし暑い部屋にいても茹(う)だるだけ、手元に資料はないし、結局は扇風機の風にあたって昼寝するのが関の山、それに引きかえ、図書館内は涼しいし、資料も結構ある。まさに一石二鳥、夏は図書館通いにかぎるな、ということでした。おかげで、暑い最中、家人も心配するほどせっせと通っています。むろん昼寝などしませんし、まめにメモしていますので、間もなくA4の大学ノートも1冊つぶせそうです。いままでの経験からいえば、この分量に図表や写真などですこし色をつければ、本の1冊ぐらいは書けるはずです。
横浜市内でわたしがよく通う図書館は、前述の県立図書館と野毛坂にある市立中央図書館です。いっとき、県立の方は貸出をやめるということで問題になりましたが、どうやら従来通りで落ち着いています。わたし自身は、本を図書館から借り出して家で読むなんてことは、性分上できないのでどちらでもいいと思っています。二つの図書館の特徴を一口で表現しますと、県立は図書・資料類をじっくりと閲覧するにふさわしい、どちらかといえばアカデミックな感じです。一方の市立中央は、場所が繁華街に近いという利便性もあって、手っ取り早く書棚から書を取り出して読むことのできる庶民的な感じです。たとえば古い新聞の復刻版でも、県立では資料室から持ち出し、市立は書棚から自由に取り出せて読めるのです。便利といえば便利ですが、管理されていないとどうしても傷みやすく、わたしなどは、やはり資料として保管していただき、むやみに手をつけられないようにしていただきたい、と思っています。そんなわけで、市立中央へは、およそ図書館に通うムードの漂わない「おっさん」なども気軽に出入りして新聞を読み、気持ちよさそうに寝入っている人もいます。どちらの図書館とも、司書さんたちは親切かつ熱心で、こちらの問いに対して、パソコンの端末で徹底的に調べ、対応してくれる点は嬉しいものがあります。予算の関係からか、県立においていない書籍類でも、市立中央の方にはおかれているケースが案外多いこと、最近気づきました。そういった情報も司書さんが教えてくれるので、通常は紅葉丘へ通い、必要なときは徒歩で10分ぐらいの野毛山へ立ち寄ることにしています。一度なんか、国会図書館のほかには神奈川近代文化館の図書室にしかない、なんていう資料も教えてくれました。
おっと!うっかり忘れるところでした。題名に出した『1/3読書論』のことです。新聞記事だったか、どなたかのエッセイだったか、もう忘れてしまったのですが、こんなタイトルを目にしたことがありました。要は、人はだれでも、多かれ少なかれ蔵書があり、中には買っただけでまだ読んでいないという本があるはずです。それでも1/3はすでに読んだでしょうから、読んでいない本の半分、せめて1/3ぐらいは、これからぜひ読んでほしい。しかし、最後の1/3はあきらめてもいいのではないか、というような趣旨だったと思います。さて、この説を自分に当てはめた場合どうなるかを考えてみました。じつは自分の蔵書がどのくらいあるか数えたことはありませんが、たぶん常人よりは多いでしょう。わたしは、自分では読書人だとは思っていませんし、本も資料として持っているものが多いだけですが、目を通した分を数えれば、優に全体の半分以上は読んだような気はしています。それでも、全体の1/3に該当するまだ読んでいない本をなんとかしなければと思い、一昨年来多くの貴重な本を処分してきました(2011年5月2012年3月参照)。どうせ読むことができないのなら、死蔵することなく、もっと有効に利用して下さる所へ寄贈しようと思ったからです。これでだいぶ楽になり、あと目ぼしいのは、手元においていない、河出書房新社刊の世界文学全集第1集全55巻、同第2集25巻、それに別巻などであり、これについては完全に降参しようと考えております。そうすれば、残りの大多数が美術系、歴史資料系といったものになりますので、これらは折に触れて目を通すことができますし、他の読み物類は、毎夜ピッチをあげてページを括るようにしております。いわゆる「積(つん)読」だという謗(そし)りを受けずに済むかな、と思っています。最近のわたしは、出来るだけ本屋に近づかぬよう心掛けています。うっかり面白そうな本を目にすれば、つい手を出してしまうことを怖れているのです。これからは、「ご主人さま、わたしのことも忘れないで!」、とか「むかし目を通したからといって儂(わし)のことなど覚えちゃいないだろう。たまには手にしろよ!」と声をかけて来そうなものに目をかけ、新書には目もくれないことにしているのです。
皆さまも、せっかく買った本です。1/3は切り捨て、のこった1/3ぐらいは、ぜひ愛してやってください。とはいえ、くれぐれもむりなさらずに、せいぜい読書をお楽しみください。

(2013年8月)

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