終活の準備(私の文筆活動総括)

「サウジアラビアおもてうら」表紙

終活ということば、だれが言い出したのか、よく使われます。人生の終わりを迎えるにあたっての準備活動とでもいう意味合いなのでしょうが、20年ほど前から、週刊誌やTVなどで取り上げられた関係で、本なども出版されているようです。わたしもそれなりに、娘たちにめいわくをかけぬように何か必要なことはしておかねばと思い、その一環として、数年前から蔵書の処分のほかに、ウェブサイトに毎月書いている雑文の中で、わたしがいなくなった後、いわゆる「終活」にあたるかも知れないような文章を書いております。「パスポートをさかのぼる」、「わたしと世界遺産」、「食のたのしみ」といったものです。今月は自分が今までやってきた文筆活動について、「筆を折った」だなんて大それたことではありませんが、このあたりでまとめておこうと、「私の文筆活動総括」なる一文を認めました。

文庫本「石油技術者たちの太平洋戦争」

1.上梓した書籍類
1−1 正常ルートを経て書店に架棚された書籍

・書籍名: サウジアラビアおもてうら
・発行所: 日本貿易振興会 四六判 昭和58年(1983)
・梗 概: わたしの処女出版物 現場での長期勤務を含めて足かけ4年滞在した近代化の進むサウジの現状をあまねく紹介した。近代化の進むサウジを紹介した本の出版は本邦でははじめてである。
・書籍名: 石油人たちの太平洋戦争
・発行所: 光人社 四六判上製本 昭和64年(1989)
・梗 概: 日米開戦の前に南方へ向かって出立した民間人からなる「石油部隊」、南方の石油獲得のためにスマトラ島・パレンバンの空に舞い下りた陸軍落下傘部隊、軍とともに燃え盛る製油所へ入った石油技術者たちの苦難な戦いをあまねく描いた書。本書は作家司馬遼太郎に献本され、氏からは「昭和史の一角に灯をともしてくれた」と評された。
・書籍名: 60歳からの趣味達人(企業OBペンクラブ共著)
・発行所: 日本実業出版社 四六判 平成5年(1993)
・梗 概: 1989年に発足した「企業OBペンクラブ」との共著で、「化学工業の切手コレクター」、「星空のロマン」の2編が収録されている。
・書籍名: 石油技術者たちの太平洋戦争
・発行所: 光人社NF文庫 平成10年(1998)
・梗 概: 四六判出版後9年経って光人社のNF文庫に収まり、さらに10年後の平成20年(2008年)に新装版が刊行された。
・書籍名: 陸軍燃料廠
・発行所: 光人社NF文庫 平成15年(2003)、また平成25年(2013)に新装版が刊行された。
・梗 概: 陸軍燃料廠は日米開戦の5年前に誕生した大臣直轄の組織で、戦時下の陸軍の石油行政・研究全般を司った。この組織から戦後の石油・石油化学産業の人材を育っていった。なお、上記二著は立花隆・佐藤優著『ぼくらの頭脳の鍛え方』の中で、立花隆により「あの戦争が石油に始まり、石油に終わったことがこの二冊を読むとよくわかる」と評され、必読の教養書として文庫&新書100冊の中に挙げられた。
・書籍名: 技術中将の日米戦争
・発行所: 光人社NF文庫 平成18年(2006)
・梗 概: 陸軍の俊才テクノクラートと称された秋山徳三郎中将の生涯。文中で取り上げた秋山の東大卒業時学士論文は大阪府立狭山池博物館に保管され、満州建国時に彼が携わった土木・建築工事写真は土木学会図書館にアーカイブとして保管されている。
・書籍名: 決定版太平洋戦争「第3巻」南方資源と蘭印作戦(共著)
・発行所: 学習研究社 平成21年(2009) B5判
・梗 概: 決定版太平洋戦争は同社が企画している歴史群像シリーズの一つで、その第3巻のうち、「南方資源の実相」、「パレンバン攻略戦」、「占領下南方油田の運営と問題点」ほか石油関連の記述全般を担当した。
・書籍名: 陸軍員外学生
・発行所: 光人社NF文庫 平成26年(2014)
・梗 概: 陸軍員外学生とは、旧日本陸軍に存在していた人事制度で,工兵・砲兵のうちトップクラスの何名かを東大などの大学に正規学生として入学させ、卒業後は陸軍大学卒業者に準ずる扱いとされ陸軍の軍事技術を支えたエリートたちである。

1−2 政府刊行物・直販で刊行された書籍(共著)

・書籍名: 海外職業訓練事情シリーズ「第5巻」サウジアラビア
・発行所: 海外職業訓練協会 昭和61年(1986) 四六判
・梗 概: 同協会の主要業務の一つである海外職業訓練情報提供の一環として労働省の補助金を受けて出版。わたしの所属していた会社が受託し、著者の一人としてわたしは第1章〜6章を記述した。
・書籍名: 海外事情シリーズ1 エクアドル編
・発行所: 海外職業訓練協会 昭和63年(1988) B5判
・梗 概: 上書と同じく同協会の主要業務の一つである海外職業訓練データバンク事業の一環として業務体験を通じて受託したもので、シリーズ1はインド・アメリカなど7ヶ国から構成、当社はエクアドルを担当し、わたしが執筆した。
・書籍名: 有料老人ホーム事業化・運営ソフト資料集
・発行所: 綜合ユニコム A4判上製本
・梗 概: 老人問題の第一人者・前立教大学教授服部万里子先生監修で、服部メディカルとわたしの所属会社との共同で著述したもので、わたしは「ソフトウエアからみた有料老人ホームの施設計画」を執筆。

‘84年建築文化懸賞論文入選発表

2.雑誌類・新聞への寄稿・投稿
2−1 募集論文

・論文題名: 環境問題を考えるー生態学によるアプローチ序説
・発表雑誌: 建築学会機関誌「建築雑誌」11月号 1972年
・梗 概: 環境問題に関する論文募集への応募投稿。生態学の用語がこの雑誌に掲載されたのははじめてかと思われる。筆者自身生態学に取り組んで間もないころで、まだ何の実績もなかった。幸い審査委員会全員一致で入選作5編に選ばれたが、「方向付けが平板的に流れていて、積極的な取り組み姿勢や問題性の提起がなされてない」という手きびしい評を受けてしまった。
・論文題名: 国際化促進にあたって我等何をなすべきか
・発表雑誌: 「社内懸賞論文受賞作品集」 1977年度佳作論文の1点に入選した。
・論文題名: 建設における先端産業の形態と建築
・発表雑誌: 彰国社「建築文化」‘84建築文化懸賞論文
・梗 概: この賞は「吉岡賞」と名付けられており、建築界では一応知られた賞である。それまで応募するなんてこと考えもしなかったのになぜ応募したのか、定かには覚えてはいない。審査員伊藤ていじ先生の評の中に、「建設産業というと施工だけかのように思われがちであるが、この応募者は、設計や管理も視野の中に入れており、その点で実務的な建築デザイナーよりは、眼の届いている範囲は広い」とあり、わが意を得たようで嬉しかった。新宿駅西口ホテルで行われた表彰式には出るつもりでいたが、急な海外出張で出席できなかった。俊乗坊重源(東大寺再建で著名な僧)の研究者でもあった伊藤先生には、重源上人を研究者していた者としてはぜひお会いしたかったのに、残念なことであった。

2−2 各種雑誌への寄稿

・題 名: 工場緑化の考え方(1)&(2)
・発表雑誌: 「プラントエンジニア」 日本能率協会昭和48年(1973)11月&12月号
・題 名: 一通り目を通すことは「栄誉の印」
・発表雑誌: 「自動車とその世界」 トヨタ自動車広報部 昭和58年(1983) 201号
・題 名: サウジアラビア、もうひとつの顔
・発表雑誌: 月刊「海外市場」 日本貿易振興会 昭和58年(1983)12月号
・題 名: 「話の広場」異文化が接するフライトライフ
・発表雑誌: 「アジア時報」 (社)アジア調査会 平成5年(1993)10月号
・題 名: 幻におわった談志の寄席
・発表雑誌: 「悠遊」創刊号 平成6年(1994)
・梗 概: 雑誌「悠遊」は、平成元年(1989)に発足した企業ペンクラブ(当初は商社マンクラブ)の機関紙名。クラブ代表は三菱商事OBの八木大介(元参議院議員)氏で、会員には大手商社をはじめ、大手企業の方が多かった。わたしの入会は記憶ないが平成になる前だということになる
・題 名: 奇妙な三人の兵隊のこと
・発表雑誌: 「悠遊」第二号 平成7年(1995)
・題 名: わたしの書斎づくり大作戦
・発表雑誌: 「八光会会報」第6号 平成7年(1996)
・題 名: 単身赴任
・発表雑誌: ”Newsletter” No.11 Feb.1995
(社)青少年健康センター
・題 名: ISOを構造的に理解する入門ガイダンス
・発表雑誌: 「月刊建設オピニオン」 建設公論社 平成8年(1996)7月号
・題 名: アルジェリアでは、いま
・発表雑誌: 「悠遊」第七号 平成12年(2000)
・題 名: 我が国の石油事情今昔
・発表雑誌: 「翼」航空自衛隊連合幹部会機関紙 平成16年(2004)新春号
・題 名: イデヨ・ノグチ小学校のこと
・発表雑誌: 「長浜通信」第10号 平成22年(2010)3月
・梗 概: わたしの地元横浜には、野口英世博士が渡米する前の一時勤めていた長浜細菌検査室があり、保存会の方々によって守られている。

2−3 新聞への寄稿

・題 名: 病院設備のアメニティ「癒しの環境」を考える
・掲載紙: 「熱産業経済新聞」平成7年11月5日
・題 名: 戦後に残した遺産の大きさー幻の組織(陸軍燃料廠)を世に出す最後の語り部ー
・掲載紙: 「週間読書人」平成15年8月1日

以上がわたしの文筆活動ということになりますが、文筆活動とは言えない私的な執筆ということでは、中学時代の仲間と発刊した同人雑誌「棕櫚」の21冊の中で、10数遍の雑文、その他に会社在籍中に所属していた部誌「甍(いらか)」と子会社の社報にも、それぞれ数編の雑文を寄稿していますが、これはすべて割愛いたしました。

    

(2020年07月)

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