宿泊した海外のホテル一覧(2)

ホノルル ザ・ロイヤル・ハワイアンのドアキー

北米(2)・アジア・中東編

宿泊年 国名・都市 ホ テ ル 名
  アメリカ合衆国:  
1980 パサデナ *ヒルトン
1988 ロチェスター カーラー
  シカゴ ザ・パーマー・ハウス
  ボストン メリディアン
  ボルティモア オムニ・インターナショナル
  アトランタ ザ・リッツ・カールトン
  ダラス ヒルトン
  ロサンゼルス ヒルトン
  カラマズー ヒルトン・イン
1990 ロサンゼルス *ザ・ウェスティン
1996 ホノルル ザ・ロイヤル・ハワイアン
2004 サンフランシスコ パン・パシフィック
2007 サンフランシスコ ヨーク
  韓 国:  
1978 ソウル アンバサドール
1980 ソウル ソウル・トウキュウ
1985 ソウル ソウル・プラザ
1986 ウルサン コレアナ
  台 湾:  
1979 タイペイ ゴールデン・キング
  香 港:  
1977 カオルン(九竜) ザ・インペリアル
1980 ホンコン ザ・マンダリン
1989 ホンコン シティ・ガーデン
1999 カオルン(九竜) YMCAホンコン
  シンガポール:  
1980 シンガポール アポロ
1982 シンガポール *ヒルトン
1985 シンガポール メリディアン
1996 シンガポール マンダリン
  インドネシア:  
1986 ジャカルタ *インターハウス
  スラバヤ シンパン
1996 ジャカルタ ウィサタ
  タイ王国:  
1980 バンコク ニュー・アマリン
1983 バンコク ナライ
1984 バンコク インドラ・レジェント
  ベトナム:  
1996 ホーチミン ニュー・ワールドホテル
  ウズベキスタン:  
2005 タシケント * デデマン
  サウジアラビア:  
1982 アル・コバール アル・ゴザイビ
  アル・ジュベール *インターナショナル
1982 リヤド *ハイアット・リージェンシ
1986 アル・コバール ガルフ・メリディアン
  アラブ首長国連邦:  
1984 アブダビ *ホリデイ・イン
1985 アブダビ・ダフラ ラマダ
1999 デュバイ(ドバイ) *シェラトン

(注記1)ホテル名へのホテル記載は省略
(注記2)宿泊年ははじめて泊まったときの年数
(注記3)*印は連続3日以上宿泊、または複数回利用を示す

シカゴ ザ・パーマ・ハウスのロビー

アメリカへは、前号で書いたように、南米滞在中にトランジットで何回か入国していましたが、1980年にはじめて仕事で入国、ヒルトン・パサデナに3回、通算20日ほど宿泊し、LAの衛星都市圏内での休日を楽しみました。何といっても印象深かったのは、パサデナのノートン・サイモン美術館(2010年3月号 『ノートン・サイモン美術館』参照)でした。それから30年ちかく経って、娘がLA近郊のバーバンク(ディズニーの本社がある)、結婚してからはLA南のハンティントン・ビーチ(サーフィンで有名)に住むようになり、出産後にそこへ訪れた妻をその美術館に案内したとかで、映画『慕情』の主演女優ジェニファー・ジョーンズ(彼女の夫が美術館創設者)の名とともに忘れがたい場所となっています。1988年にアメリカで多くのホテルに泊まっておりますが、神戸で病院計画を担当することになり、『アメリカの医療革命と病院経営戦略研究』という全米を網羅したツアーに参加したからです。自分が所属していた会社も企画に関係し、ともに亡くなられてしまいましたが、当該病院の副院長先生、設計指導を受けた千葉大学の伊藤誠先生もご一緒されたツアーで、アメリカ国内でも名の通った病院ばかりを訪問し、泊まったホテルも各地で1流、しかもツインを個室としての利用で、恵まれたツアーでした。わたしにとっては、はじめてのツアーでの海外旅行、空港でもホテルでも、それまでの旅行とは異なり、だまって待っていれば2名の添乗員がすべてを処理してくれるという楽しい旅行でした。泊まったホテル、すべてがすばらしく、甲乙つけがたいのですが、ホテルでは、シカゴのザ・パーマー・ハウスの豪華さ、そしてボストンのメリディアンのしっとりと落ち着いた雰囲気が印象に残っています。ついでながら、訪れた街ではボストンの重厚さ、アトランタでは『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラとイメージが重なり、楽しかったという点では、ダラスがもっとも印象に残っております。

ロサンゼルス ザ・ウェスティン・ボナベンチャー

それから2年後に、8日間のシルバービジネスの視察ツアーに参加し、LAのザ・ウェスティン・ボナベンチャーに宿泊しました。数々の映画の舞台にもなり、銀色の円形タワーという斬新的なデザインでしたが、数日滞在したにもかかわらず、ほとんど印象に残っていないのはなぜなのか、自分でも不思議に思っています。一方、前号でも書きましたが、娘の心遣いから泊まることができた、ホノルルのザ・ロイヤル・ハワイアンは、やはり、伝統ある名門ホテルに泊まれたのだという思いがつよく、印象に残っています。ただし、古いせいか、使い勝手という点ではやや難がありましたし、何よりもこのホテル、懐に余裕があって、ひたすら優雅な休暇を過ごすため、といったホテルなのでしょう。わたし共には分に過ぎるものがあったかな、の思いがしております。

ホンコン ザ・マンダリン

アジアでのホテルで印象が残っていると言えば、やはり香港のザ・マンダリン(現マンダリン・オリエンタル)です。1980年、わたしがサウジアラビア滞在から引き揚げる際、スペインを回って帰ることを妻に提案したのですが、子供二人を留守居させての長旅など出来ないとつよく反対され、代案として落ち着いたのが香港への2泊の旅でした。その代りに、せめてホテルぐらいはと選んだのが、九竜(カオルン)側のペニンシュラにするか香港島側のマンダリンかで、結局、地の利からこのホテルを選んだのです。現在どのようになっているのか知りませんが、当時は何と言っても香港で1、2を争うホテルで、妻はいまでもいいホテルだったと満足してくれています。そこまではよかったのですが、よく調べもせずに予約したツアーはひどく、とくに香港仔(アバディーン)に浮かぶ水上レストラン「ジャンボ」の料理はひどく、がっかりしたことがつよく印象に残っています。

アブダビ・ダフラ ラマダホテル

ベトナム・ホーチミン市へは、主宰していた研究会の研修旅行で行ったのですが、泊まったニュー・ワールドホテルは旧社会主義国から脱皮しょうという意気込みからか、他のアジア諸国のホテルに勝るとも劣らぬものがありました。居室、レストランなども素晴らしく、料理だって、かつてはフランスが宗主国、味自慢の国だったことを彷彿させるものがありました。朝食を道路に面したレストランでとっていた際、ガラス越しに覗きこむ子供たち。羨ましさより、物欲しげさが感じとられましたが、ガラス1枚で隔てられた天と地ほどの住む世界の違い、南米などでよく感じた後ろめたいような気持ちを、ここでもつよく感じました。中東では、アラブ首長国連邦・アブダビの西端、ダフラの海岸に建つラマダホテルはアラブの城砦を思わせる造りで、落ち着いた、感じのいいホテルでした。あいにく、トラブル収拾のための心を重くしての出張でしたが、早朝にホテル近くのペルシャ(アラビア)湾に面した浅瀬の海岸を散策していた際、漣(さざなみ)に混じった泡のような水滴が陽の光に反射して、星くずのように光り輝いていたのが印象的でした。

   

(2016年07月)

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