UFOっているのかな

昨年の7月でしたか、友人と新宿のK’s cinemaで3本の短編映画を観ました。文化庁の委託事業で、「若手映画作家育成プロジェクト」という事業があり、毎年選ばれた3作品に対して制作費の補助があるらしいのです。友人の知人の息子さんの作品『そぼろごはん』がそれに選ばれたとのことで観に行ったというわけです。神奈川との県境、静岡県小山町の田園を舞台に、TVドラマによく出てくる草村礼子さんがおいしい「そぼろごはん」を炊いてくれるおばあさん役で出演し、孫息子との間で繰り広げられる日常的なドラマで、しっとりとした癒しを感じさせるいい映画でした。選ばれた3本の中に『UFO食堂』という作品がありました。UFOで町おこしをする、とある田舎町の食堂を舞台に展開するSFホームドラマ、とうたわれていましたが、およそSFとはいいがたい、単なるホームドラマでした。それにしても、UFO(Unidentified Flying Object−未確認飛行物体)は、最近はあまり話題に上がりませんが、なにか宇宙のロマンを感じさせる言葉で、今でも、この言葉と自分の夢とを重ねてみる人が多いようです。
もう40年近く前、ずいぶん昔の話で恐縮ですが、南米エクアドルへ赴任する話しがでたとき、「南米か、宇宙のロマンを感じるな」と思ったものです。というのも、少年時代に愛読していた光文社の雑誌『少年』で読んだ「宇宙戦争」という物語を思い出したからです。記憶はすっかり薄れてしまいましたが、物語はこんな内容だったと思います。1949年(昭和24年)2月に、エクアドル・ラジオキトの放送中に首都キト近郊の軍事基地が火星人に襲撃されているという臨時ニュースが流れ、襲撃の実況放送に切り替わったため市民は恐怖に陥ったそうです。しかしその放送が、じつは劇だったということを知った民衆が暴徒化し、放送局が襲われて出演者を含む21名もの死者が出たという話でした。物語の結末は、劇だと知った民衆がなぜ暴徒化して放送局を襲ったのか、その理由は、この放送の10年ほど前に、民衆は同じ経験をして恐怖のどん底に陥ったことがあるからだ、というのでした。まだ少年だったわたしは、「南米には宇宙人がほんとうにいるのかな」、とたいへん興味を持ったものでした。事実は、映画『第三の男』で知られたオーソン・ウェルズが1938年10月30日のCBS放送で、アメリカ・ニュ―ジャージー州のプリンストン近郊へ火星人が襲撃してきた、というドラマを放送したことが発端でした。オーソンの脚色ですから、ドラマの内容は、まさに微に入り細をうがつもので、流れていたラ・クンパルシタの甘い曲がとぎれ、興奮したアナウンサーが「ただいま重大なニュースが入りましたので曲をとめました。どうやらプリンストン辺りで地震が発生したもようです」と発表し、「ここからはマイクを現地に切り替えます」として、現地プリンストンからの実況放送となったのです。そしてその実況たるや、隕石らしきものの落下、隕石はじつは宇宙船であり、そこから火星人が出てきて熱光線で攻撃をしはじめ、辺り一面火の海になり、抵抗する人々は火柱となって倒れていく、などと放送したのです。ときには放送が中断され、不気味な爆発音などが流れるなど、まさに迫真の演出だったようです。ニュ―ジャージー州には大きな工場、石油施設などが数多くあり、そこからは爆発とともに大きな火炎が立ち上り、火星人に抵抗するための義勇軍が進軍する様子などなど、まさに、見てきたかのようなウソ(演出された場面)が電波にのって流されたのでした。そこまでくれば、視聴者は恐怖感にあおられ、パニック状態です。じつは、番組放送中も「これはドラマです」といくども流されたそうですが、ひとたび現実の出来事だと勘違いした民衆には役に立たず、われ先にと逃げ出す人々でいずこも大混乱になったことが想像できます。ところで、オーソン・ウェルズはなぜこのような人騒がせなドラマを制作したのでしょうか。真意は、むろんわたしにはわかりません。ドラマの原作は19世紀末に発表されたイギリスの作家H.G. ウェルズ(オーソンとは1字違いの同名)の“The War of The World”というSF小説だそうです。オーソンにしてみれば、ドラマ化する以上、迫真のものを制作したいということで、その意図は大成功だったといえるでしょう。放送中に、これはドラマだとはっきり断ったということで、訴えられた彼自身、裁判で無罪を勝ち取っています。しかし、のちにエクアドルで死者を出すほどの大騒ぎとなったわけで、罪なことをしたともいえるでしょう。

 背景の説明が長くなりましたが、赴任の当時そのような背景を知らなかった私にとっては、南米というのは、未知の魅力にあふれていました。空中都市マチュピチュ、ナスカの地上図絵など、何となく宇宙人の存在を示唆するように思えたものでした。その意味では、南米へ行くということは、それだけでもワクワクし、気持ちはいやがうえにも高揚したものです。仲間内でも、UFOの存在については、賛否ほぼ半々だったと思います。中には、かなりのオタクがいて、写真や資料をわざわざ日本から持って来ており、とうとうと説明する人もいたりして、興味のあった人はそれぞれにワクワクしたのだと思います。わたしが長期滞在したところは、エクアドルの首都キトの北西330キロ、コロンビアとの国境に近いところに位置する、太平洋沿岸の町エスメラルダス(トピック2009年8月参照)です。赤道に近く、高温多湿の熱帯性雨林地帯に位置していますが、一年中雨が降るというわけではなく、11月頃から翌年4月頃までが雨季で雨が多くなりますが、1年の半分は乾季となります。エスメは州都であり、市の中心はそれなりににぎやかな街でしたが、住んでいたところは郊外に設けられたキャンプ地でした。二方は大河エスメラルダス河とその支流ティアオネ川に面し、他の二方は小高い丘に囲まれた、いわば人里から離れた静かな、さびしい処でした。構内の照明は、かろうじて歩くことができる程度の暗いものでしたから、夜空には星が燦然と輝き、それは美しく、子供のころ灯火管制下の疎開先群馬で見上げた満天の星空を思い出しました。電力事情のわるかったエスメのことですから、停電もしばしばで、そんなときの夜空は、雄大な天の川が南北に流れ、星雲が、あたかもミルクを注がれたかのように見え、ときには、尾をひく流れ星を数える楽しみもありました。

わたし自身は、残念なことに、天文に関しての知識は皆無でした。そんなわたしに対して、天文に興味を持つ知人が、星空にロマンをもとめる醍醐味について、こんな話をしてくれました。「宇宙は雄大で深遠です。それに、太陽系、銀河系、いや宇宙全体から、明らかに脈動する生命力を感じるのです。そのつもりで星空に接すると、親しみがわき、興味と関心がひろがっていくのです」。彼は、さらにこう続けました。「わたしはね、夜空のたくさんの星を観ていると、地球以外でも生命の存在することを感じるのです。無窮ともいえるこの宇宙で、地球だけに生命体があるとすれば、地球は、宇宙の中での奇形児になってしまいます」と。単純なわたしは、「なるほど、そうかもしれないな。だとすれば、いまがUFOを発見するいいチャンスかもしれない」、と思ったものです。なにしろ、エクアドルは30数年前に火星人の襲撃を受けたと伝えられる宇宙のロマンに満ちた国、しかも満天下の星空との生活でしたから、天体望遠鏡こそありませんでしたが、絶好の条件が整っていたのです。滞在した2年間、わたしは、機会をとらえては夜空を見上げました。そして、UFOの現れるのを、あるいは宇宙人が現れたらどうしようか、などと半ばまじめに、しんけんに観察したものでした。むろん結果はあきらかでした。UFOも、ましてや宇宙人もそう簡単に現れるわけがなく、がっかりした反面、もともとUFOなど存在しないのだ、というのがわたしの達した結論でした。

エクアドルから帰国して5年後の1982年4月1日、キトのラジオ局が性懲(しょうこ)りもなく「首都キトに謎のUFO出現」と放送したようです。日付をみれば、その魂胆は明白ですね。それでも一部の民衆が暴徒化し、警察が鎮圧に乗り出したようです。エクアドル人も、もういいかげんにUFOから解放されなければいけないでしょう。もっともUFO騒ぎはエクアドルに限らず、日本を含めて世界各地で目撃情報などが寄せられているようです。しかし、イギリス国防省は、60年間にわたって寄せられた1万2000件以上の情報を科学的に分析した結果、自国への潜在的脅威とはなり得ないとして、1950年に開設したUFO班を2010年末に廃止しました。同班の中には、まだ「攻撃の可能性あり」と、強硬に継続を主張する者もいたようですが、宇宙開発に関する技術が高度化している現在、やはりUFO存在の可能性はあり得ないのではないでしょうか。一方アメリカのNASAはイギリスのUFO班廃止発表と同じ時期に、「地球外生命体の存在の可能性」について重大な発表をしましたが、これとて火星人など宇宙人の存在とか、UFOの存在に結びつくような発表ではなく、宇宙における生物の起源や進化等に関する純科学的な研究成果に関する発表でした。昨年、7年振りに地球へ帰還した小惑星探査機「はやぶさ」には驚かされ、日本の技術力の高さに感服しましたが、持ち帰られた試料の分析から、地球誕生のなぞに迫ることも期待できるでしょう。宇宙へのロマンは、UFOの存在云々という形ではなく、地道な科学的分析・研究に求めることで、単なる宇宙ブームに終わらせることなく、追いつづけてほしいなと思っています。

注記)写真説明:上から
H.G. ウェルズ著“The War of The World”表紙
エスメラルダス 造成中のキャンプ地
キャンプ地対岸からエスメラルダス河を望む
エスメラルダス空港にて

(2011年 6月)

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