「しーしー」ことば

「しーしーことば」、皆さま耳にしたことありますか。たぶんないと思います。なぜなら、わたしの造語だからです。どういうことばか?かんたんにいえば、話しことばの中で、意味もなくむやみに「……し、」を乱用する「ことば」のことです。
このことばが気になりだしたのは、サッカーのJリーグが発足した1993年(平成5年)以降、90年代の半ばごろのことだったと記憶しております。Jリーグ発足以前に、すでに日本サッカーリーグ(JSL)があり、三浦知良に代表される花形選手の活躍で日本でもサッカー人気が高まっていました。90年代後半には、中山、中田といった人気選手、そのほかにも個性的な選手も現れ、いやがうえにもサッカー人気は高まる一方で、そうなると、TV番組のスポーツコーナーなどで、インタビューを受ける選手が多くなったのです。マイクを向けられた彼らの受け答えを聞いていますと、なぜか「……し、」がやたらに出てきていたので、わたしには気になったという次第なのです。それまでは、スポーツの花形といえば野球選手でしたが、彼らの場合には、そのようなことはありませんでした。「ほんとうに……?」、と疑われそうですが、自分が気になり出したことなので、そのことには自信があります。いったん気になると、つぎからつぎと気になってしまうもので、注意してよく聞いていますと、「しーしーことば」はサッカー選手に始まり、いまや、それが当たり前のようにまん延しております。さすがに、局アナをはじめその道の専門家、あるいは節度あるコメンテーターなどの話しからは、ほとんど聞きません。わたしの手前勝手な解釈ですが、試合後のインタビューなどでは、まだ興奮もさめやらず、頭の中の整理もできていないままに受け応えるわけなので、つぎのことばを考える間合いとして、つい「……し、」を多用してしまうのかな、と好意的に考えております。それにしても、そのような必要のない場面でも使われたり、一般の、たとえば児童などがそうしたしゃべり方をするとなると、やはり気になってしまいます。「そんな些細なことを」と言われそうですが、TVの人気ドラマ『相棒』の杉下右京ではありませんが、「つい細かいことが気になってしまう、ぼくのわるいくせ」、やはり気になってしまいます。
なぜ気にするかについて、ちょっとした理屈づけをしてみます。むろん言語の専門家でもないわたしが、「ことば」について語る資格のないこと、重々承知の上で、わたしが最も信頼する『広辞苑』を中心に、手持ちの小学館『大辭典』、そして講談社の『日本語大辞典』などを頼りに「し」を説明しますと、ざっとつぎのようになります。文法上助詞にあたる「し」は(間投助詞)と(接続助詞)とに分かれますが、(間投助詞)は主として古語で使われた用法なので忘れることにします。では、(接続助詞)としての使い方(意味合い)ですが、ことさら説明しなくても、大方はよくご存知だと思います。そうです。大別すれば、つぎの4とおりの使い方です。
?事柄を並列する際に、前の句の終りにつけて次の句につづけます。要は類似ことばの羅列です。
(例)「酒も飲まないし、たばこも嫌いだ」、「読みもするし、書きもする」
?前の句が、次の句の理由・原因となっていることを示す。
(例)「仕事も済んだし、一杯いくか」
?「し」のつく句を二つ以上重ねて、「…するから」、「…ので」という条件を示す。
(例)「天気は好いし、休日だし、すごい人出だった」
? 助動詞「まい」につけて、「…のに」、「…ものを」のように軽蔑の意味を込めた理由を示す。
(例)「子供ではあるまいし、いいかげんになさい」
やや堅苦しくなってしまいましたが、?については特殊例ですし、TVなどでの話しことばとしてはめったに使われませんから、この例も忘れます。そうなると?〜?の使い方ということになります。ただし、インタビュー場面を聞いていますと、ほとんどが?の使い方、要するに、単にことば(句)をつづけているに過ぎないことがわかります。それはそうでしょう。人間だれしも、理由 だ、条件だなんて、とっさに意味合いを考えてのことば遣いなど、できよう筈はないからです。問題は、接続助詞「し」を多用されますと、聞く側としては、どこまでつづくのかわからず、不安な感じを受けてしまいます。さらにわるいことには、「……し、」と言っておきながら、しばらく間をおいてから出ることばが、前のことばとまったくつながりのないことを言っていることもあります。またまた文法上の堅苦しいことを書きますが、接続助詞「し」は活用語の終止形につくことはご存知だと思います。話ことばとして完結していることになりますから、何もことさら「し」などをつけずにそこで切ってしまっても、聞く相手には十分伝わるわけです。話しことばの場合、ことばを短く切っても何ら差し支えありませんし、そのほうがかえって、意味がよく伝わり、聞いていても安心できるのではありませんか。
わたしの理屈はこんなところですが、「しーしーことば」は、広い意味では、最近よく耳にする「ことばの乱れ」の一つだと思っています。些細なことをそれほど気にしなくても、と思われるかもしれませんが、些細なことゆえ、正すべきは正してほしいな、と思っています。わたしは、お笑い芸人のよく使う「わいざつなことば」、ギャルたちの使う「へんてこなことば」などを苦々しく思っている頭の固い大人ですが、そうしたことばは、使う人たちの品性の問題であり、無視すればよいだけのことだと思うのです。しかし、「しーしーことば」は使う人の品性とは関係なく、また文法上誤用ともいえないのですが、ただ意味もなく、何気なく多用されているということで、できればやめた方がいいのでは、と気になっているのです。わたしは、どうしても杉下右京と同じ気持ちから抜け出せないでいます。

(2013年9月)

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