宿泊した海外のホテル一覧(3)

ブラチスラバ ドナウ川に浮かぶ船上ボテル

ヨーロッパ・北アフリカ・番外編

宿泊年 国名・都市 ホ テ ル 名
  フランス:  
1977 パリ アンタン
  パリ メリディアン
1980 パリ *ニッコー・ド・パリ
  スペイン:  
1997 バルセロナ グラン・オテル・カタロニア
  セビリア ラル
  グラナダ グラン・オテル・グラナダ
  マドリッド アントニ・ガウディ
  ドイツ:  
1998 フランクフルト エクセルシオール
    ヴィクトリア
    *シェラトン
  イタリア:  
2002 ローマ クイリナーレ
  フィレンツェ ヴィラ・メディチ
  ベネチア ガブリエル・サンドワース
  ミラノ ドリア・グランド
  チェコ:  
2006 プラハ *ペンション・ヴィクトリア
  ハンガリー:  
2006 ブダペスト マティヤス
  スロバキア:  
2006 ブラチスラバ マリナ・ボテル
  チュニジア:  
1998 チュニス *アボウ・ナワス・チュニス
1999 チュニス *アボウ・ナワス・ガマス

(注記1)ホテル名へのホテル記載は省略
(注記2)宿泊年ははじめて泊まったときの年数
(注記3)*印は連続3日以上宿泊、または複数回利用を示す

フィレンツエ ヴィラ・メディチの食堂

パリへは仕事で4回行くチャンスがありました。フランス人は時間の使い方がおおらかで、せかせか働く日本人から見れば大いに見習うところがあり、パリでの休日の過ごし方、夜のショー見学など、十分楽しむことができました。はじめてのパリでの宿泊先は、オペラ座裏の細い路地に面したアンタンという4階建の小さなホテル。その最上階で、なんとなく屋根裏的でしたが、それでも小ぎれいで気持ちよい部屋でした。2回目はサウジアラビアへ行くためのトランジットで、泊まったのは凱旋門にちかいメリディアン。立派なホテルでしたが、仮の宿泊みたいなもので何の印象も残っていません。そのあとはニッコー・ド・パリで、通算すれば11泊しましたが、日本人ばかりが目立つ、つまらないホテルでした。パリ以降のヨーロッパはすべてツアーで妻と一緒の旅でした。かねて念願だったスペインへは、当初セビリアの五つ星、アルフォンソ13世ホテルに泊まるツアーに申し込んでいたのですが、その分高額だったためか成立しなかったことは残念のきわみでした。参加したツアーではどこも平凡なホテルでしたが、考えてみれば、スペインは訪れる先々すべて圧倒されんばかりのところ、ホテルなど寝られれば十分ではないか、という思いにかられたものでした。

ベネチア ガブリエル・サンドワース

2002年11月、オリエント急行復活20周年を記念して、何かの記念を迎えたカップル20組を集めて「オリエント急行と5つ星ホテルに泊まるイタリアの旅」という企画があり、とびつくようにそれに応募しました。妻が長いこと念願していたベネチア(ベニス)行を、それもオリエント急行を利用するというツアーでした。ホテルはどこも1流、しかも五つ星のホテル2か所を連泊するという豪華なものでした。イタリアもスペイン同様、訪問先すべてが圧倒されるばかりのすばらしさ、夜に入ってもその余韻にひたり、翌日の楽しみを考えるその昂揚感で、ホテルのことはさほど気にはなりませんでした。しかしそれでも、フィレンツエのヴィラ・メディチはさすが五つ星ホテル、とくにメインダイニングで用意されたアニバーサリー・ディナーはすばらしいものでした。何んの記念で申し込んだのかのか忘れていましたが、本稿執筆のために調べたら、わたしの場合は「退職記念」でした。ベネチアのガブリエル・サンドワース は、サン・マルコ広場に近いスキアヴォ―ニ埠頭沿い、同市で最高級と称されているダニエルホテルと同じ並びで、外装も同じようなレンガ色に合わせていました。屋上はちょっとしたテラスになっており、そこからの眺めは、映画『旅情』をほうふつさせるものがありました。

プラハ ペンション・ビクトリア

チェコ・ハンガリー・スロバキアの中欧3国へは、何回かご一緒に海外を旅している3家族での心の通った旅でした。その中のお一人Kさんが現地プラハの知人の力も借りて企画した、まさに手づくりのツアーでした。宿泊先も家族的なペンション・ビクトリアで、天窓から差し込む朝の陽光の心地よさを感じながら目を覚ます何日かでした。チェコからいったんハンガリーへ行き、ブダベストからドナウ(ダニューブ)川を遡った隣国スロバキアのブラチスラバでは、城のちょうど真下、川に浮かぶボテル・マリーナに1泊しました。船上での宿泊がよかったのかどうか、サービスという点で問題があったかもしれませんが、提案者のわたしとしては、ダニューブのさざ波に揺られての一夜、わるくなかったような気がしています。

チュニス アボウ・ナワス・ガマス

北アフリカで泊まったホテルは、チュニスのアボウ・ナワス・チュニスと、同系のアボウ・ナワス・ガマスでした。いずれもすばらしいホテルで、後者はガマス海岸に立地していたということで、リゾートホテルの色彩がつよい感じでした。隣国アルジェリアではシャワーだけの生活でしたから、チュニスへ来て浴槽につかりますと、日本人は、やはりこれでなければの思いをつよくしたものです。
以下は、番外編です。

アルジェ ホテル・サフィール

ホテル・サフィールへは、じつは内部に入っていません。離れた所から外観写真を撮るのが精いっぱいでした。このホテル、ジャン・ギャバンの名画『望郷』の舞台となったホテル(映画ではアレッティの名)で、ギャバン扮する大泥棒ペペ・ル・モコをなんとかカスバから引きずり出し、このホテルに追い込んで捕えようというストーリ―でしたから、当然カスバに近い旧フランスの租界へ入ったところに位置しています。したがって、アルジェに滞在中、残念ながら、テロを警戒して立ち入ることは許されなかったのです。

アルジェ エル・ジャザイ−ル

エル・ジャザイールは古さ、格式から言ってもアルジェで1番のホテルで、ここは警備がしっかりしているということで、何度か食事に行きました。鬱蒼とした熱帯植物におおわれ、いかにも格式のあるといった感じで、アンドレ・ジイド、W.チャーチルなど幾多の著名人が宿泊したことで知られています。とくに第二次世界大戦末期、アイゼンハウアーが連合軍のノルマンディ上陸作戦(映画『史上最大の作戦』)をここで指揮し、また自由フランス軍のドゴールが祖国フランスの奪還を目指してここで指揮したことでも知られています。

映画『めまい』の舞台となったヨークホテル

サンフランシスコのヨーク・ホテルと言っても、ほとんど知る人は少ないでしょうが、わたしの大好きだった女優キム・ノヴァック(2009年7月号 「忘れ得ぬハリウッド女優」参照)の映画『めまい』の後半部、彼女がここに泊まっていたと設定されたホテルで、そこの301号室はいまでも大切に保存されています。そのことを知っていた娘が気をきかして、大学卒業式のために同市を訪問した際、わざわざ予約を取ってくれて4泊しました。蛇足になりますが、ロス近郊のパサデナには、キム・ノヴァックが定宿にしていたと言われていたグリーン・ホテル(俗称Actress Hotel)があり、同市に滞在していたとき、もしかしたら、という淡い期待感でホテル前をぶらついたものでした。わたしも、ずいぶんおっちょこちょいでしたねぇ。

   

(2016年08月)

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