通訳とは異なもの

アルジェで宿舎にしていたベンガナ邸外観

海外でプラント建設に従事していたころは、南米・中東あるいは東南アジアにせよ、基本的には英語使用が原則でした。むろん日常会話を含めて、会話は英語であり、わたしのように英会話を得手としていない者にとってはつらい面がありました。しかし、そこはうまくしたもので、仕事上の会話というのは背景がはっきりしていますし、技術上の用語さえおさえれば、それがキーワードとなって何とか話は通じるものでした。それに、契約や金銭が絡むような話の場合は語学の専門家を立会わせて確認すればいいわけで、現場での通常の会話というのは、相手が何を考え・求めているのかを忖度(そんたく)すれば、なんとかなるものです。逆に流暢に英語をしゃべる人でも、相手の言うことをよく聴かずに、あるいは一方的に自分の考えを押し付けようとした場合、かんじんな話が通じていない、というようなことが生じる場合もあるように思えます。
そんなわけで、わたしが通訳を介しての仕事をするようになったのは、プラントの建設ではなく、会社員として最後の仕事であったアルジェリアでの大使館の業務からでした。ご存知だと思いますが、アルジェリアは1962年に独立するまではフランスの植民地でした。したがって公用語としてはフランス語であり、それに人種によってはアラビア語(隣国チュニジアではよく使われていました)や原住民ベルベル人のベルベル語も通じたようです。いずれにしても、フランス語ができなければ仕事になりません。同国へは、半年近く滞在した現場生活を含めて都合4回渡航しています。はじめての渡航は1998年3月、そのときは外務省の職員という立場でしたので、大使館の館員が通訳をしてくれましたが、他の3回は都度通訳を伴っての渡航でした。海外業務とはいえ、それまでと異なりプロジェクトチームが編成されたわけではなく、契約にはじまり、物の購入からその出荷・輸出業務、現地での人の雇用、業務の発注、その他もろもろのすべてを自分一人で処理しなければならない個人商店みたいなものでしたので、通訳さがしも自分でやらなければなりませんでした。どなたの紹介だったのかまったく記憶がないのですが、翻訳・通訳・国際会議などを業務内容としていた、東京・浜松町のエクシムという会社に飛び込みました。パリにも事務所を持つフランス語を得手とする会社で、1年半ぐらいにわたってずいぶんお世話になりました。契約書・見積書など一式をフランス語で作成し、むろん通訳の紹介もお願いしました。
通訳と一口に言っても、いろいろな立場があり、いろいろな性格の方もいるのでしょうが、わたしがアルジェリアでお付き合いしたほんのせまい範囲で申せば、「通訳とは異なもの」ということになります。何が異なのか、つぎの2点についてそう感じました。一つは、海外の現場で働くという点から見れば、通訳の方はやや繊細なのではないか、ということです。もう一つは、言語のプロとはいえ言語というのはつくづく難しいな、と感じたことです。最初の「繊細、あるいは線が細い」というという点ですが、現場へ出るからと言って、むろん誰もがたいていのことに動じない、なんてことはありません。いやむしろ、だれもが不安を感じながらでかけるものです。見積業務に必要な詳細調査のために、最初の訪問から半年後に2度目にアルジェリアへ渡航した際のことでした。山下さんという大柄で性格の明るそうな、しかもアルジェリアで働いていた方だということで、エクシムもいい通訳を選んでくれたと内心喜んだものでした。ドイツ・フランクフルトで1泊し、チュニジア航空でアルプスを越え、地中海を眼下にチュニスへ入り、そこでトランジット時間を利用して市内観光し、いざアルジェ行の便に乗ろうとしたところ、急に搭乗を躊躇するのです。けげんに思って問うたところ、「自分は現場に直接入国できるものだと思っていた」、と言うのです。アルジェリアで働いた経験があるということでテロの国だということは十分理解していたはずなのになぜ?不審に思ったわたしは、「そのことは事前に説明されていたでしょう」と聞くと、「知っているがゆえに、テロリストにねらわれているアルジェの空港へなんて怖くて行けない」というのです。以前働いていたN社(その後、同国内でテロにあったことで知られる)では、現場に海から直接入るか、現場に近いところに専用の空港があったのだそうです。それにしても、現場そのものがアルジェ市内ですし、今さらやめるわけにいかないということで、しぶしぶでしたが、なんとかついて来てくれました。しかし、アルジェ到着後は、大使館構内に閉じこもり、門外へは1歩も出ようとはしませんでした。強制するわけにもいかず、彼の意を汲みましたが、何がそれほどまでに彼を怖れさせたのか、正直なところ、はかり知ることができませんでした。
現場開設に必要な準備をするための3度目の渡航は1999年6月でした。前の通訳はふさわしくないため、エクシムは別の方を選んでくれました。関西のご出身で、細身、多少神経質そうな感じの方でした。前の方と異なり、市内などへの外出も大丈夫でしたし、むろんフランス語はお手のもの、1ヶ月後に開始する工事のための現地業者との契約、現場事務所整備のための家具類の購入、工事期間中宿舎を貸してくれる富豪ベンガナさんとの交渉などなど順調にこなしてくれました。しかし、日が経つにつれて様子がおかしくなってきたのです。口数がめっきり少なくなり、食もすすまないようになっていました。帰国2、3日前には大使館の警備担当官までもが、「石井さん、大丈夫ですかね」と心配してくれる有様でした。なんとかアルジェから出国し、チュニスではホテルに1泊するだけで、翌朝にはフランクフルトへ飛びました。気がかりになったのは、広いフランクフルト空港内でのトランジットのための移動中でした。長い距離を歩きますので自分のことで手一杯、つい注意を怠って、3度ほど姿を見失いました。後方についているとばかり思って振り向くと、姿が見えないのです。心配なので、立ち止まって待つこと数分、はるか後方から重そうな足取りでついてくるのです。声をかけても無表情で応えることもなく、本当に気がかりでした。体調については、2週間生活を共にしていたわけで、本人も別にわるいとは言っておらず、この頃にはテロも下火で爆発音が聞こえることもなかったので恐怖感はなかったはずです。しいて考えれば、大使館内の宿舎生活中、娯楽があるわけでもなく、外出がほとんどできなかったという閉塞感、そのことから生じるストレスによるうつの症状だったのかも知れません。帰国後エクシムには伝えましたが、思い当る節はないとのことでした。うかつなことに、その通訳の方のお名前が、いま調べてもどこにも記録されていないのです。その後どうされているのか、ふっと思い出すことがあります。
最後の渡航は1999年の7月末、現場工事のためで、その年の12月3日に帰国するまで約4か月半の滞在でした。エクシムも今度こそはと、パリ在住の田中さんという方をアサインしてくれました。政府関連の会議でも通訳として活躍しているというふれ込みで、わざわざ一時帰国した上で同行してくれました。山下さんと同じように大柄で、温和そうなご性格、そしてすこし目がおわるいようでした。フランス語という言葉の上ではプロであり、その点では絶対的に信じていたのですが、2ヶ月を過ぎるあたりから、ちょっと首をかしげたくなりました。「この通訳さん、わたしの言うことを本当に伝えてくれているのだろうか」、という疑問がわくようになったのです。理由は2点ありました。1点は、現地業者の監督あるいは職人さんたちが、指示した内容と異なる動き・作業をしばしば行うようになったのです。もっと端的な理由は、自分たちが市内へ出られないため、買物などはドライバーに買って来てもらうわけですが、指示とまったく異なる物を持ち帰ることも多発するようになったのです。はじめのうちは、ドライバーの勘違いか、とかるく考えていたのですが、急いでいるときなどは業務に支障をきたすため、ドライバーに問いただしました。2人の間でしばらく言い合っていましたが、結局、通訳のフランス語では現地の人に適切に伝わっていないことが分かったのです。当方がうかつだったのかも知れませんが、旧宗主国がフランスだったからといって正当なフランス語がアルジェリア人に完全に伝わるわけではないのでしょう。当然のことながら、アルジェリア風(訛り?)、あるいはチュニジア風、モロッコ風のフランス語が存在しているに違いありません。わたしはあわてて国際電話でエクシムに事情を説明し、通訳の交代を依頼しました。そのことのあるのを予期していたのか、ほとんど即決で、チュニジア人と国際結婚していたM女史が代わりに来てくれることになりました。アルジェリアへの入国ビザも、大使館のご厚意ですぐに取れ、業務には支障をきたしませんでした。じつはM女史のこと、チュニス空港でのケアなどでお世話になっており、すでに顔見知りだったこともあって、スムーズに事がはこんだこと、ラッキーだったと思います。なにしろチュニジアの観光地ジェルバ島の漁師仲間に鍛えられたモロッコ風のフランス語、訛りに多少の違いはあっても、田中さんの正当フランス語よりはるかに実用的だったのです。考えてみたら、田中さんには気の毒なことをしたと思っています。自分では国際会議でも通用するフランス語だと思っていたのに、いざアルジェリアへきて使ってみたら様子がおかしいと気付いてはいたのでしょう。それでもプロの通訳としての誇りから、「わたしではダメだ」とは言い出せなかったに違いありません。田中さんに対しては、丁重に送別会を催し、警護官付で空港までお送りしました。エクシムへも丁重に謝意を伝え、帰国後に挨拶に伺ったこと、言うまでもありません。それにしても、プロの通訳の言葉が通じないなんて、やはり通訳とは異なものと思っています。

   

(2016年04月)

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