海外こぼれ話(1)特産品と土産物

コロンビア・コーヒー豆の収穫

久しく、自分の身辺雑記みたいなものを書いてきましたので、ここらで、久しぶりに海外のことについて書いてみたいと思います。内容が古く恐縮ですが、『海外こぼれ話』と称して何回かに分けて書くことにします。手始めは、滞在した諸国の特産品・土産品についてです。
コロンビア:コーヒー・エメラルド
はじめての海外出張は南米コロンビア。年末に出張を命じられ、年が明けてすぐにあわただしく出立しました。その間、南米アルゼンチンに滞在したことのあるJICAの友人に南米に関する一般的な話を聞き、資料を見せていただいたことで、コロンビアが世界最大のエメラルドの産出国であることなどを知りました。出張目的は、入札にそなえての調査業務で3週間強の滞在でしたが、土産物として選んだのは麻の袋に詰められたコーヒー豆でした。かさばらないように小分けされており、それにスペイン語で書かれた袋は、見た目にいかにも産地から持ち帰ったようで、差し上げた方から喜ばれたものでした。エメラルドだけが頭にあり、じつは、行く前までは同国がコーヒー生産では世界のトップクラスの国だということまったく知りませんでした。コロンビアの豆は日本人の間でも嗜好家が多いようで、同国からの輸入量では、日本は世界で第3位だそうです。なかでもエメラルド・マウンテンはフル―ティな酸味がほどよく、ナッツの風味と合うということで、セットにすることが粋な飲み方のようです。高度海抜2500メートルほどの首都のボゴタから1000メートルほど下った丘陵地帯のカリやメデリン(現地ではメディジンと発音)の郊外に拡がるコーヒー畑、いま、懐かしく思い出しております。

コロンビア・エメラルドの原石

気軽に買えたコーヒー豆と異なり、エメラルドとなると、事はそう簡単ではありません。多摩平の公団住宅から横浜のマンションに移ったばかりのときで経済的な余裕はなく、わずかな仮払いだけで国を出たため、帰国日も近くなる頃には懐の具合もさびしくなってきました。それでも、エメラルドの指輪を土産にすれば、さぞかし妻には喜ばれるだろうと思い、現地でお世話になっていたO氏(わたしの会社上司の甥御さん)に相談してみました。案内してくれたのはボゴタ市内のとある宝石店。宝石の目利きならとO氏夫人も同行してくれました。店内にはエメラルドを中心にまばゆいばかりの宝石類が展示されていました。むろん、おいそれと手が出せる額ではありません。帰国するにあたって、航空チケットはホテルの宿泊代込みでしたので、あとはちょっとした食事代と帰国してからの交通費をのぞいた金額すべてをはたいていくらになるかを算出し、その金額を正直にO氏に話し、店主との交渉を頼みました。O氏夫妻、金額を聞いて内心はびっくりされたかもしれませんが、快く交渉してくれました。店主も顔見知りのO氏を立ててくれたのか、石こそ小さかったものの、けっこう洒落たデザインの指輪を提示してくれました。妻は今でもその指輪を気に入っており、わたしもいい買い物ができたものと喜んでおります。もっともその陰で、ニューヨークではホテルの部屋にこもってハンバーグをかじっていただけ、そして帰国してから経理のその話をしたところ、「海外を旅行するのに、そんな危ない真似をするな。現地の商社に頼めば、なんとでもしてくれるのに」と、お小言をうけました。

エクアドル・木彫り

エクアドル:パナマ帽・麻の壁掛け・木彫り・バナナ
コロンビアの隣国エクアドルでの滞在は足掛け3年におよびました。いわばその地でじっくりと生活したわけですから、持ち帰った土産品は数多く上ります。手先の器用な国民性なのか優れた工芸品が多く、まずはパナマ帽があります。名前は中米のパナマとつけられていますが、実際の製造はエクアドルが主であり、優れた製品は同国産です。ただ、昔と異なり、日本ではパナマ帽ははやらず、日本へ持ち帰ったものの、それをかぶって街中を歩けず、結局、いつの間にか姿を見ることがなくなってしまいました。麻の壁掛けもすばらしく、類似の製品は立ち寄ったペルーやメキシコでも見かけたものの、「もの」としてはエクアドル製には及ばないと思われます。わたしの持ち帰った壁掛けは40年になりますが、いまなお色彩は当時のままで、一昨年までは富士北麓の小屋で使用していましたが、現在は自室での敷物として使用しております。しかし何よりもすばらしい工芸品は、同国の木彫りです。世界中の空港の売店でよく木彫りを見掛けますが、材質を含めてエクアドル産は他を圧しているように思えます。とくにわたしの持ち帰ったものは、木彫り生産地として名高い、アンデス山中のイバラまで出向き、名工ルイス・ポトシの工房で購入した3点で、傷つかぬよう十分な梱包をし、日本からプラント機器を運んで来た帰りの船便を利用して送り届けた逸品で、いまでも見ごたえのある作品です。

エクアドル・たわわに実るバナナ

工芸品とは別に、エクアドルの特産物といえば、なんと言ってもバナナです。海抜2800メートルの首都キトからアンデス山中のふもとのサント・ドミンゴまで下りますと、それまでの緊張感がほぐれ、ホッと力が抜けたようになります。そこから現場のある太平洋岸のエスメラルダス(スペイン語でエメラルドの意)まではひたすらバナナ畑の中の道を進みます。その単調さ、もうイヤになるほどで、途中で車を捨てたくなるほどです。日本人にとっては、バナナは生食用オンリーですが、エクアドルなどでは料理用に使われるものも多く、甘くておいしく、しかも栄養価も高いバナナは、彼らにとっては天の恵みに近い果実だといえるでしょう。バナナを材料にいろいろな料理が工夫されていましたが、日本人の口にはなかなか合わず、食指が動かなかったものでした。エスメラルダスでは、まだ色の青い30房ほど実のついたものを市場で買って宿舎に持ち帰り、それを木製の梁からぶら下げておき、間食用に誰でもが自由にとれるようにしておく。2、3日もすれば皮が黄色くなりはじめ、数日もすれば熟度の出てきたことを示す斑点も出はじめ、おいしいバナナを楽しめたものでした。わたしの滞在時は、ちょうど日本のバナナの輸入が自由化されて10年ほど経ったころで、すでに下火となっていた台湾バナナに取って代わり、日本へさかんに輸出れていたころでした。帰国してから注意して見ていますと、日本からの資本の導入でフィリピン産が急激にのしてきて、地の利もあってエクアドル産の影がうすくなってきていことが気がかりです。いつの頃からか、エクアドルで田辺正裕さんという方がバナナを生産するようになり、日本へも入って来るようになって、たいへん喜ばしいことと思っています。ひいき目からか、フィリピン産よりおいしく思われ、わたしはいつまでもエクアドル・バナナの愛好者でありたいと思っています。

サウジアラビア・ゴールドスーク

サウジアラビア:砂漠のバラ
日本人の目から見て、サウジアラビアの特産品は何かと問われますと、わたしは答えに窮します。特段めぼしいものはない、というのが本音です。もっとも、同国・ジェッダでの長期滞在は40年ほど前のことで、古すぎていまさら語る資格はないでしょうが、実態はいまでも大きくは変わっていないのではないでしょうか。別の見方もできます。観光という面から見れば、いろいろと制約・束縛の多い国ですから、休日だといっても出かける場所がなく、せいぜい紅海の海岸を愉しむていど。一度だけ、ジェッダからメッカへ向かう道を途中で分かれて、タイフ(同国夏の首都)へ向かう山岳道路でのドライブを楽しんだだけでした。そんな国での唯一の楽しみといえば、イスラム信徒の休日である金曜日に、スーク(市場)へ出かけてのショッピングだと言えるでしょう。スークには、その頃のわたしにはあまり馴染みがなかったのですが、ヨーロッパの名だたるブランドの店が進出しており、ファッションには縁の薄い男性にとっても、ウインドウ・ショッピングするだけでも楽しいものがありました。それに中東のスークではおなじみのゴールドスークもあります。日本人の中には、何回か麻雀にバカ勝ちしたと言っては、小さな金塊を手にした「つわものも」もいたようです。うらやましかったですね。金の値が高騰している現在、彼らは、ほくそ笑んでいるに違いありません。わたしも、ほかに楽しみがありませんでしたし、3回ほどあった一時帰国時の家族への土産物として、ちょっとしたブランド物を買って帰ったものでしたが、しょせんは趣向が異なるのか、こちらに目がないのか、投じた金額ほどには喜ばれなかったこと、残念に思っています。

サウジアラビア・砂漠のバラ

サウジアラビアにはめぼしい特産品はないと書きましたが、特産品と言えるかどうかはともかく、いかにもサウジアラビアらしい特産品を一つ思い出しました。「砂漠のバラ」です。むろんバラと言っても、花のバラではありません。砂漠などで採取できる、写真でお分かりいただけるようなバラのような形をした砂の塊、あるいは石と言ってもいいのかもしれない鉱物です。地中に埋もれていたり、ときには地上へ露出していることもありますが、砂漠ではどこにでもということはなく、あるところにはあるといった代物です。そのご行ったアラビア半島東海岸のアラブ首長国連邦や北アフリカのアルジェリアでも店で売られていましたので、砂漠の特産品と言ってもよいのでしょう。「砂漠のバラ」は砂漠に含まれる硫酸カルシウム(CaSO4)、硫酸バリウム(BaSO4)といった化合物が水分に溶けて結晶化したものだと言われています。砂漠には水分がないと思われがちですが、太古のむかし、アラビア半島は海だったようで、今でも地中深く掘り下げていけば水が得られるようです。この「砂漠のバラ」、国によっては結構な値段で売られているようで、わたしが滞在していたころは空港からの持ち出しはさほど厳しくなかったのですが、ある時期から持ち出し禁止となっているようです。わたしも土産用としていくつか持ち帰っていますが、めずらしいせいか、差し上げた方からは、結構、喜ばれたものでした。
(次号につづく)
(注記)一部の写真は公刊された書籍のものを掲載しています。

    

(2018年02月)

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