;lp90io 石井正紀
 

映画の舞台となった二つのホテル(1)

映画を鑑賞する中で、その映画を語る上では欠かせないホテルが登場するものです。わたしは今までにそんなホテルをアメリカ・サンフランシスコと北アフリカ・アルジェとで各々一つずつのホテルを経験することができ、映画の大ファンであるわたしにとっては、秘かに自慢できる経験だと思っております。サンフランシスコのヨークホテル(映画名『めまい』・劇中での名はエンパイア)とアルジェのサフィルホテル(映画名『望郷』・劇中での名はアレッティ)です。映画『めまい』はサスペンス・スリラーの帝王ヒッチコックの50を超える作品の中でも秀逸な作品の一つですが、そのこと以上に、女優キム・ノヴァクをグレース・ケリーと並び称されるほどの美人女優に仕立てたことで知られています。1958年に公開された当時、まだ学生だったわたしは、彼女の美しさの虜になってしまいました。もう一つの映画は、これまた戦前の古い作品で恐縮ですが、名優ジャン・ギャバンの『望郷』で、日本で上映された頃、エト邦枝の唄う『カスバの女』が流行し、「ここは地の果てアルジェリア」の歌詞が国内で評判になったものでした。
さて、映画とホテルとの関係についてですが、『めまい』のあらすじはざっとこんなことになります。主人公は元刑事スコティ(J.スチュアート)で、彼は親しくしている友人から、日ごと不審な彷徨(ほうこう)をするその妻(マデリン)の尾行を頼まれます。結果として妻は金門橋下で入水自殺を図ったり、彼女が夢の中で見た教会の鐘楼へ行きたいとスコティを誘い、その鐘楼から落下して死んでしまうのです。こうした行為はすべて、スコティが高所恐怖症であることを十分知っている彼の友人が仕組んだ巧妙なわなだったのです。じつは友人は妻マデリンの殺害を企てており、あらかじめマデリンによく似た別の女性(ジュディ キム・ノヴァクの二役)を仕立てておき、指示に従い入水自殺を装ったり、鐘楼の場面ではスコティやマデリンに気づかれぬよう殺人のほう助に利用していたのです。入水自殺は当然スコティに助けられることを想定し、同時にマデリンには自殺願望があることをスコティにつよく印象付けました。鐘楼からのマデリンの落下ですが、ここがこの映画の最大の見せどころとなります。マデリンに誘われたスコティは、鐘楼に上りたいという彼女をつよく止めましたが、マデリンはどうしても聞き入れません。やむを得ず最上階まで同行し、彼女から片時も目をそらさぬよう注意していましたが、友人の計画は巧妙をきわめ、高所恐怖症だった彼には彼女の落下を止めることができなかったのです。友人の悪賢さは、さらに念入りでした。元刑事の面前での飛び降りでは誰もが自殺を疑いませんし、自らの力の及ばなかったことを悲痛な思いで友人に詫びるスコティに対して、責めるどころか逆に「君はよくやってくれた。気にしないでくれ」と丁重に伝え、海外へ旅立ってしまうのです。むろん、心の中では完壁に遂行された計画に快哉と叫びながら.........。映画はここまでが前半ということになります。

ヨークホテル
(現在名はホテル ヴァーティゴ)

後半は、画面の雰囲気がころりと変わります。尾行している間にいつしかマデリンに心を奪われるようになってしまったスコティは、自分さえ高所恐怖症でなければマデリンを失うことはなかったのだと自責の念に苛まれ、彼女を尾行して歩き回った市中を半ば茫然と彷徨する生活を送っていました。そんなある日、彼は市内のエンパイアホテルから出てきたマデリンによく似た女性に思わず引き付けられました。その女性(ジュディ)、気品こそ及びませんでしたが、顔立ち・体形はマデリンにそっくりなのです。スコティはホテルに出入りするジュディを尾行し、彼女と付き合うようになり、彼女の着衣・髪型・化粧品、さらに身につけるアクセサリーなどをできるだけマデリンに似させるように仕向けます。ジュディもまたすっかりスコティに夢中になり、彼の言いなりに素直にしたがっているうちに馬脚をあらわしてしまうのです。たまたまジュディが首にかけていたネックレスが、入水したマデリンが身につけていたものと同一のものであることをスコティは見のがさなかったのです。入水時に身につけていた品をジュディがつけられるはずはなく、自分が尾行するうちに心を奪われたマデリンとジュディとは同一人物であることをスコティは確信しました。彼は女を件の鐘楼へ連れて行き真相を問い詰めますが、たまたま鐘つきのために突然現れた修道女に驚いたジュディもまた、そこから落下死するのです。

キム・ノヴァクの泊まっていた301号室

以下、後日談です。家内とサンフランシスコへ同地の大学に学ぶ娘を訪れた際、映画『めまい』に出てきたホテルの存在を聞いたところ、すぐにわかりました。わたし自身、映画での印象はほとんどなく、「あれが映画に登場したホテルなのか」ていどの印象でした。二度目は2007年、その時は、娘が気を利かして数日の宿泊を取ってくれました。泊った感じでは、ホテルは映画撮影当時より改装されており、撮影中にキム・ノヴァクの泊まっていた301号室のドアにはKim Novak Roomの銘板が貼られ、わたしも記念にとホテルのキーホルダーをいただいてきております。

(以下 次号につづく)

  

(2024年10月)

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