外国人留学生スピーチコンテスト

今月の10日、横浜市の県民ホールで市内の専修学校・各種学校へ通う外国人留学生による日本語スピーチコンテストが行なわれました。第20回を迎えた歴史あるコンテストだそうです。YMCA日本語学校のボランティアをしている関係で、わたしも聴きに行きました。じつは、わたしがチューターをしているインド人女子学生も発表するというので、その応援のためもありました。

参加学生は15名、国籍としては、台湾を含めて7カ国・地域、 女子10名、男子5名でした。そのうち、7名の優秀者、そして 最優秀者1名が選ばれ、幸い、インド人学生も優秀者として表彰されました。翌日の朝日新聞朝刊に写真が掲載されていましたが、前列左側から3人目の女性がその学生さんです。来日して3年未満が出場資格ですが、出場した皆さんは、総じてしっかりした日本語で、自分の思うところ、感じている点をはっきり述べており、日本へ留学して日本語を学ぶ海外の青年が、何を考えているのかを知ることができた点で、たいへん有意義でした。

日本語という点では、一人、他を圧倒するような達者な方がいました。10ヶ月前に香港から来日したという梁秋珮(リヨウ・シュウペイ)とおっしゃる女性です。日本語が上手だというだけでなく、容姿は端麗、身のこなし方、話す上での間の取り方など、何をとってもすばらしい方でした。じつは、彼女の前歴は、JALの客室乗務員をしていたそうで、日本で乗務員教育を受けていたのです。その彼女がいの一番にスピーチしたので、わたしなどは、「ああ、これはこの人で決まりだ。主催者も、ずいぶん罪な出場順にしたものだ」、とつい思ってしまったほどでした。そんな達者な日本語を話す人がなぜ今更日本で勉強を、とけげんに思ったのですが、彼女いわく、「言葉は、場面に合った遣い方ができて初めてできるといえる」のであって、「自分の習った、あるいは覚えた日本語は、客室内でお客さんに対する言葉だけ」なのだそうです。しょせん、自分は日常会話も満足にできない偏った日本語しか話せないことを悟り、それを正すことが留学の第一の目的なのだそうです。なるほど、そういうものなのか、と妙に感心しました。

ところで、最優秀者として横浜市長賞を受けたのは、25歳のネパール人男性、バッタライ・ヒムラルさんでした。彼の場合、日本語もそれなりに上手でしたが、彼よりうまく話す出場者は何人かいました。インド人女性もその中の一人だったといえるでしょう。ただし彼の話した内容には、余人にはなかった聴衆を感動させるポイントが2点ありました。
その第1は、彼が16歳まで過ごした生まれ故郷の村は貧しく、学校も病院も遠く離れていて、通うこともできない子供たちが数多くいることの実情を切々と訴えたことです。そうした環境の中で、自分はカトマンズに出て大学教育を受けられた幸せ者であり、そのことを自覚し、故郷への奉仕の精神をいつまでも忘れずにいたいと熱く語っていました。留学中の現在でも、アルバイトで得たお金から、わずかでも貯金をして故郷へ還元しているそうです。第2の点は、日本の優れた諸制度・習慣を留学中に少しでも多く学び取り、それを生まれ故郷へ持ち帰り、故郷の村に学校をつくり、植林をし、事業も考えて、子供たちが通学でき、また村にいても生計が成り立つよう故郷のために奉仕する、ということです。
他の人は、日本へ来て感動したこと、驚いたことについて語り、自分の夢の実現のために何をしたい、といった話が多かったのですが、彼の場合は、日本留学中に会得した様々なことを母国へ持ち帰り、それを故郷の発展に役立たせたいという視点を明確に出していたのです。かつての遣唐使を思い起こさせ、その点が審査員の高い評価を得たのではないでしょうか

インドからの留学生キリティカ・ジェテェリさんのスピーチ内容の切り口も、他の人とは一味異なっていました。『私は留学生の中の外国人』というテーマは、最初耳にしたとき、どういう意味かすぐには理解できませんでした。彼女の書いた原稿を読んでもらい、「なるほど!」と、日ごろわたしたちが何気なく見落としていた点、そしてそのことが彼女を少なからず傷つけていたのだということを、ゆくりなくも気付かせてくれたのです
どういうことかといいますと、YMCA日本語学校の場合、留学生の70%が中国、韓国など、一見日本人と見まがう顔つきの 学生さんたちです。したがって、つき合うお友達は必然的にそういう人が多く、その中で、キリティカさんなどは顔の彫りが深く、日本人的な服装をしていても、いかにもインド人、あるいは外国人という感じがするわけです。そうなると、日本人というのは、わるい癖で、つい「外人(がいじん)さん」と特別な目で見てしまいます。最近ではそのような見方は少なくなっている、とわたしなどは思うのですが、彼女にいわせればまだまだ外人的な見方をされるようです。レストランでも買い物のときでも、彼女が日本語で声をかけても、彼女にだけ英語のメニューを用意したり、店員は、ブロークンでも英語で話しかけてくるようです。彼女にとっては、「どうしてなの?自分の日本語はそんなにおかしいの?」と、そのように扱われることがイヤだし、不快に感じ、つい「私は留学生の中の外国人」だ、と感じるようになったそうです。しかし、滞在も長くなるにつれ、彼女の日本語を褒めてくれるお婆さんに出会ったり、浴衣姿で花火大会へ行ったときなどに、「素敵だよ!」と声をかけてくれる人もいたりして、彼女もそれが嬉しく、だんだん前向きのとらえ方ができるようになったそうです。いまでは、多少いやなことに出合った場合でも、それをプラス思考の考えで対応して、努めて笑顔で、すべてを学び取ろうという考えに変わったようです。日本滞在で得た、あるいは学んだもっとも大きな収穫はこの点だと思う、彼女はそのように話していました。

ちなみに、彼女の父親も日本への留学経験があり、現在はデリーでアパレル関連の工場を経営していて、日本の服飾店へ品物を出しているとのこと。ゆくゆくは彼女も父親の会社を手伝い、日本で学んだことを両国の交流に生かしてゆきたいと考えているようです。いずれは、インド・日本の間をさっそうと往き来するキャリア・ウーマンになることでしょう。楽しみです。

(平成21年 3月)

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