塔のある風景 醍醐寺五重塔初層の組物
本稿は、中学同期の有志の間で出していた同人誌『棕櫚』へ掲載する目的で、学生のころ書いた小文です。結局、雑誌の発行ができず、結果として没になったので、書棚の中で埋もれたままになっていたものです。昨年の末、体調がすぐれなかったこともあり、頭の老化とともに原稿がまったく進まなかったため、なんとなく書棚を整理している中で偶然見つけました。わたしにとっては渡りに船で、ウェブサイトの読者に対してはたいへん失礼かもしれませんが、小文を2019年1月号に載せさせていただきます。お許し下さい。 産寧坂から望んだ八坂の塔 寺の街と言われている程の京都でも、現存する塔は存外少ないものである。応仁の乱と禅寺の多いため、と私なりの解釈をしているが、それでも五重塔が四基、三重塔が三基と、他の都市と比較すれば、はるかに多い数を有しているのは、やはり、京都ならではの感がある。元来、仏舎利をまつるストゥ―パの発展したものとして、塔のもつ意味は宗教的に重要なものだったが、建築学的にみるなら、それは、むしろ伽藍を飾るものとしての意味の方が強く、宗教的な威圧といったものは感じさせない。だから、高く聳える塔を仰ぎ見る人々は、日本人の心の故郷的な気持で、大方は心持よくこれを迎えるに違いない。その点では、封建制度の象徴たる城の天守閣が、時代によって、あるいは、身分によって、かなり異なった見方をされているのに反し、今も昔も、塔をいつくしむ心にはさして違いはなかろう。その塔が、特に他の堂宇と異なった迎え方をされている理由は、いつにその高さが故だと思う。他の堂宇が如何様雄大であっても、それは所詮大地にはいつくばった、いわば、大地から逃れられない悶々とした姿であるのに反し、塔は天に向かってすこやかにそそり立つのである。西洋中世のゴシック建築が、天への憧れを示すため、大地を離れその尖頭を天空高く聳えたたしたように、塔には、天に対する人間の憧れや悦びがこもっているように思えるのである。そのために能う限り高い塔を求めること、これは、人間の自然の姿だと言えよう。重衡の兵火によって焼失する前の東大寺の七重塔は、その高さ百米にも及んだと言われている。ちょっと信じ難い話しだが、天下の富と勢を有した聖武天皇ならば、かかる雄大な発想は可能だし、どちらかと言えば、当然のように思えてくる。天平の御代はそんなことの可能な時代だったのだし、塔にこめられた人々の願いも亦、無限の高さを求めたに違いないからだ。 清水の三重塔 その京都で、私が最初に目にし、心惹かれた塔として、八坂の塔を挙げねばなるまい。由来、東寺の五重塔と共に京都を飾る一方の旗頭として有名なこの塔は、聖徳太子が創建したと伝えられている法観寺の五重塔のことで、寺運おとろえた今なお、ひとりぽつねんと聳える姿は、痛ましくもまたいじらしい。知恩院の山門から丸山公園を横断して東山の静かな裏通りを歩いて行くと、高台寺下の広場へ出る。そして、この広場からも、紛れもなく八坂の塔が望まれるのである。京の姿である。京都でなければ味わえない風景だと言えよう。それは、この塔が、もはや宗教的な尊大さを捨て去り、街中に全く溶け込んで一つに合した姿が故である。近付くのに何の気兼ねもいらないし、犯し難い威厳も秀麗さも備えているわけでない。そんなわけだから、京都に住む人は、この塔の存在を別段意識していないに違いない。それでいて、この塔なくして京都は考えられない程、京都に密接に結びついている。いわば、肉親にも似た愛情をこの塔は抱かせるのである。こういった塔を、私は八坂の塔以外にしらない。この塔の下から、つま先上がりに産寧坂が始まる。つづら折りの坂をのぼりながら、ふと立ち止まり、後をふり返って見ると、塔はまだ頭の上にある。黒く塗られた右手の板塀、左手は軒の低い、格子窓のはまった家並が続く。そして、その間にそびえる八坂の塔、遠目にはどこから見てもすばらしい塔なのだが、産寧坂から見た姿が一番しっくりしていて、美しいようである。青蓮院の右横から始まり、八坂の塔を過ぎて産寧坂をのぼり、清水坂にぶつかる東山の裏通りは、昔は西国三三所第十六番札所の清水さんに通う遍路さんで賑わったと聞くが、今は全くさびれ、人が通ることすら珍しい。たまに竹やぶのささという音すら耳にし、散策にはもってこいの道で、さびれたことがかえって嬉しい気すらする。素朴で、それでいて少しも田舎びたところはなく、むしろ、ゆかしい雅味をもった最も京都らしい道で、私は大好きである。 真如堂の三重塔
他に、塔のある風景として忘れられないものに、疎水べりから見た真如堂(真正極楽寺)の三重塔がある。 仁和寺の五重塔
塔のある風景は美しい。塔の下にだまって佇むのも飽かない楽しみがあるが、私は、周囲の風景を含めた塔のある風景が好きである。それも思わぬところから、なんとも言えないような姿を見つけた時には、わけもなく嬉しくなってしまう。そんな時の気持ちは、その風景をひとり胸にひそめておきたいような、あるいは誰かに話さずにはいられないような、実に複雑なものとなる。京都の塔頭によく見出だす石畳や竹林、奈良の佐保路や高畑道に残る築地、あるいは西の京の辺りでよく見掛けるくずれかけた土塀等、京都には京都の、奈良には奈良のいい処があるが、塔のある風景は、そのどっちにも共通した美しさを持っているのである。 (2019年01月) |
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